うるまの島
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うるまの島(うるまのしま、うるま)は、沖縄県の雅称。宇流麻とも当て字される。
- ^ 佐々木弘綱、佐佐木信綱『日本歌学全書 第三編』博文館、1890年「志らきは新羅にて三韓の一つの国なり そこにあるうるまの島人の物いひの聞知かたきをたとへにいへるなり 此歌千載集恋一に入て四の句わがことの葉をとあり」
- ^ 訳文大日本史5(後楽書院、明治45年)P.674, NDLJP:771746.
- ^ 『仲文集』(992年頃)藤原仲文「(前書)美濃国のうるまのわたりにて ゆきかよいさだめがたきは~」、『後拾遺集』(1087年)源重之「あづまじにここをうるまということはゆきかふ人のあればなりけり」。仲文と重之は同時代の人であるが、私家集の公開時期から先になる。
- ^ 鵜沼宿の鵜沼の渡し(うぬまのわたし、うるまのわたり)は木曽川の渡し船。後世、歌枕の一つのような扱いがなされている。
- ^ 島村幸一, 小此木敏明, 屋良健一郎, 綱川恵美「「琉球文学」資料注釈4『浮縄雅文集』上 蕉雨亭」『立正大学人文科学研究所年報』第55号、立正大学人文科学研究所、2018年3月、45-76頁、CRID 1050011550986875264、hdl:11266/00011328、ISSN 03899535。
- ^ 末次智「沖縄の西常央:近代的沖縄研究への架け橋として」(PDF)『京都精華大学紀要』第36号、京都精華大学、2010年、87-108頁、CRID 1520853833737107072、ISSN 09173986“含 英語文要旨”
- 1 うるまの島とは
- 2 うるまの島の概要
- 3 外部リンク
うるまの島
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平安時代の『権記』、『本朝麗藻』などに、寛弘元年(1004年)「しらぎのうるまの島の人」の因幡漂着と送還が記述されている。この島は本朝麗藻で「迂陵島」とされ、現在の鬱陵島であることは文献史学、古典文学などの研究者には定説である。日本語の通じない異邦人の到来は当時の京都でも話題となり、歌人藤原公任が題材として歌を詠み千載和歌集に載せられたことで後の世にも知られた。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}[詞書]うるまのしまの人のここにはなたれきて、ここの人のものいふをききしらてなんあるといふころ、返ことせぬ女につかはしける(うるまの島の人が日本に漂流してきて、日本人の言葉を聞いてもわからないでいるという評判の頃に、返歌をしない女に送った歌) おほつかなうるまの島の人なれやわかことのはをしらぬかほなる (心もとないことだ。うるまの島の人だからだろうか、わたしの贈った和歌に知らぬ顔をしているのは) —千載和歌集 巻第十一 六五七 これが後に何処とも知れぬ辺境の異邦人の島の代名詞となり、室町時代には、当時の琉球国が室町幕府に遣使し、本土との交易を行ったころから、辺境の島としての「うるま」が沖縄島を指すようになった。あくまでも日本本土の文人たちによるもので、当の琉球人の知名度はなかった呼び名であるが、明治時代以降の沖縄県では県民にも沖縄の雅称として認められる名となった。現代の沖縄県で「うるま」の語源は沖縄方言の「珊瑚の島」(「ウル(珊瑚)」「マ(島)」)とされるが、明治以降に後付けされた民間語源に過ぎない。
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