歌枕
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 08:13 UTC 版)
二上山は歌枕としても知られている。 歌人の大伴家持は、越中国司として現在の高岡市伏木に赴任したとき、二上山を題材にした歌を詠んでいる。このため、日吉社の登り口の御前下駐車場の向かいに大伴家持の銅像が建てられている。この銅像は以前は御前下駐車場から少し下った二上山公園万葉植物園にあったが、1981年(昭和56年)頃に現在の場所に移設された(同時に高岡駅前広場にも新たに大伴家持の銅像が建立された)。
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歌枕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 00:55 UTC 版)
平安時代から近代前までに125首ほどの短歌形式の和歌に詠みこまれている。 「なこその関」を詠んだ和歌 小八条御息所:たちよらは かけふむはかり ちかけれと たれかなこその せきをすゑけむ(後撰和歌集) 源師賢朝臣:あつまちは なこそのせきも あるものを いかてかはるの こえてきつらむ(後拾遺和歌集) 源俊頼朝臣:なこそといふ ことをはきみか ことくさを せきのなそとも おもひけるかな(金葉和歌集) 源義家朝臣:ふくかせを なこそのせきと おもへとも みちもせにちる やまさくらかな(千載和歌集) 小野小町:みるめかる あまのゆききの みなとちに なこそのせきも わかすゑなくに(新勅撰和歌集) 西行法師:あつまちや しのふのさとに やすらひて なこそのせきを こえそわつらふ(新勅撰和歌集) よみ人しらず:ほとときす なこそのせきも なかりせは きみかねさめに まつそきかまし(続後撰和歌集) 後嵯峨院:きくたひに なこそのせきの なもつらし ゆきてはかへる みにしられつつ(新後撰和歌集) 一品資子内親王:ゆめちには なこそのせきも なしといふに こひしきひとの なとかみえこぬ(玉葉和歌集) 和泉式部:なこそとは たれかはいひし いはねとも こころにすうる せきとこそみれ(玉葉和歌集) 安嘉門院四条:さてやさは こえにしものを いまさらに またはなこその せきもりそうき(玉葉和歌集) 前大僧正慈鎮:あつまちの かたになこその せきのなは きみをみやこに すめとなりけり(続千載和歌集) 前右近大将頼朝:みやこには きみにあふさか ちかけれは なこそのせきは とほきとをしれ(続千載和歌集) 右大将道綱母(倫寧女):こえわふる あふさかよりも おとにきく なこそはかたき せきとしらなむ(新千載和歌集) 従二位為子:きくもうし たれをなこその せきのなそ ゆきあふみちを いそくこころに(新拾遺和歌集) 権中納言隆房:いかにまた こころひとつの かよひぢも すゑはなこその せきとなるらむ(新拾遺和歌集) 前大納言為氏:いとはるる わかみなこその せきのなは つれなきなかや はしめなるらむ(新続古今和歌集) 文貞公:いまさらに なこそのせきを あふさかの やまのあなたに たれかすゑけむ(新葉和歌集) 右近大将長親母:いそかれぬ いそちのさかも こえにけり おいはなこその せきもりもかな(新葉和歌集) 源時明:こえやすき なにやならへる みちのくの これはなこその せきとしらなむ(万代集) 家長朝臣:あつまちは なこそのせきと きくからに ひとくといとふ うくひすのこゑ(夫木和歌抄) 慈円:みちのくや はるまつしまの うはかすみ しはしなこその せきちにそみる(夫木和歌抄) 忠盛朝臣:はるかせを なこそのせきの おそさくら けふいくかにか たつねきぬらむ(夫木和歌抄) 待賢門院安芸:ゆきやせむ ゆかすやあらまし あつまちの なこそのせきに よふことりかな(夫木和歌抄) 顕昭:かへるはる おもひやるこそ くるしけれ なこそのせきの ゆふくれのそら(夫木和歌抄) 前右兵衛督為教:なけやいま をちかたすくる ほとときす なにはなこその せきといふとも(夫木和歌抄) よみ人しらす:あふくまを いつれとひとに とひつれは なこそのせきの あなたなりけり(夫木和歌抄) 紀貫之:をしめとも とまりもあへす ゆくはるを なこそのやまの せきもとめなむ(夫木和歌抄) 中務(敦慶親王女):みちのくの なこそのせきに ききつれと きくきくなほも こえぬへきかな(中務集) 中務(敦慶親王女):まつほとの とほたうみこそ わひしけれ なこそのせきに いまはさはらし(中務集) 源信明:なこそよに なこそのせきは ゆきかふと ひともとかめす なのみなりけり(信明集) 藤原師氏:あふさかの うたかたひとは みちのくの さらになこそを なつくるかもし(海人手古良集) 藤原実方:こまほしと おもふこころは ありなから なこそのせきを つつまるるかな(実方集) よみ人しらす:きみこすは してのやまにそ ほとときす しはしなこその せきをすゑまし(実方集) 相模:せきかたき なこそもあるを しほうらの よひさかまても かかりけるかな(相模集) 藤原顕季:あつまちの なこそのせきは よとともに つれなきひとの こころなりけり(六条修理大夫集) 源俊頼:さもこそは なこそのせきの かたからめ さくらをさへも ととめけるかな(散木奇歌集) 源俊頼:あつまちの なこそのせきは わかこふる ひとのこころの なにこそありけれ(散木奇歌集) 俊恵:いもかもる なこそのせきを はかれとも とりならぬねは かなはさりけり(林葉和歌集) 俊恵:いつことも しらせぬにこそ しられぬれ われをなこその せきにやあるらむ(林葉和歌集) 俊恵:あふさかの せきのなこそに なりぬるは あやしやいかに ふみやたかへむ(林葉和歌集) 藤原重家:よしもなき われをなこその せきよりは つきひとをとこ ととめましかは(重家集) 藤原家隆:たのめても またこえぬまは あふさかの せきもなこその ここちこそすれ(壬二集) 藤原実国:さらぬたに なこそのせきと きくものを いととかすみの たちへたつらむ(実国卿集) 源俊頼:あつまちの なこそのせきの よふことり なににつくへき わかみなるらむ(堀河百首) 源顕仲:はるはると たつねきにけり あつまちに これやなこその せきととふまて(堀河百首) 藤原基俊:なにしおはは なこそといふと わきもこに われてふこさは ゆるせせきもり(堀河百首) 永縁:あふさかは こえにしものを いまはたた なこそのせきの なこそつらけれ(堀河百首) 河内:こひわひて きのふもけふも こゆへきに なこそのせきを たれかすゑけむ(堀河百首) 源師頼:たちわかれ はつかあまりに なりにけり けふやなこその せきをこゆらむ(堀河百首) 源兼昌:みやこひと こひしきまてに おとせぬは なこそのせきを さはるにやあらむ(永久百首) 藤原為忠:さくらはな かせをなこその せきならは ちるをもなとか ととめさるへき(為忠家後度百首) 御室守覚法親王:われもをしむ みちになこその せきもあるを おもひもしらす かへるはるかな(正治初度百首) 後九条内大臣:ゆめちには なこそのせきや つつくらむ わかみにかよふ おもかけそなき(宝治百首) 花山院師継:おほつかな ここやなこその せきならむ きりのへたてに ゆくかたもなし(宝治百首) 帥(鷹司院帥):このころは さそへたつらむ あつまちの なこそのせきの あきのゆうきり(宝治百首) 藤原成実:なにまよふ なこそのせきの いかならむ さてもこひちに とまるものかは(宝治百首) 洞院実雄:いとはるる わかみにかきる なをとめて なへてなこその せきといふらむ(宝治百首) 源有光:へたてける ひとのこころの おくにこそ われをなこその せきはありけれ(延文百首) 日野時光:なこそとは ちきらぬものを うきひとの こころのせきや ゆるささるらむ(延文百首) 二条持基:おとにきく なこそのせきの なもつらし わかかよひちに あるとおもへは(永享百首) 一条兼良:せきもりの うちねぬよはは あつまちの なこそといふそ とふにまされる(永享百首) 浄喜:うきなかに なこそのせきは ありけるを あつまにのみと なにおもひけむ(永享百首) 権中納言隆房:かくはかり あとなくかへる はるならは なこそのせきを なにかわけこし(御室五十首) 冷泉為尹:あちきなや とはむとのみは おもへとも われをなこその せきのゆふくれ(為尹千首) 左近権少将顕国:あつまちの なこそのせきに ありなから なほひとまねく はなすすきかな(元永二年内大臣家歌合) 権中納言公継:いかていはむ かくこそありけれ せきもりも いつらなこその なをこたへけむ(水無瀬恋十五首歌合) 小侍従:かくはかり なこそのせきと おもひける ひとにこころを なにととめけむ(千五百番歌合) 前大僧正頼意:よひよひに かよふこころも かひそなき なこそのせきの つらきへたては(南朝五百番歌合) 前大僧正頼意:わかそてに しのふなみたの もるといへは なほそなこその せきはかひなき(南朝五百番歌合) (女):あふことの とほたあふみなる われなれは なこそのせきも みちのまそなき(平中物語) 平貞文:なこそてふ せきをはすゑて あふことを ちかたふみにも きみはなさなむ(平中物語) 権少僧都□円:ゆくすゑの なこそのせきは さもあらはあれ まつあふさかの やまをこえはや(楢葉和歌集) 藤原蔭清:あたちのの あたにもひとを おもはぬに なこそのせきの なこそつらけれ(新和歌集) 田辺通直妻:あつまちの なこそをたにも こえぬれは はるにはさはる せきやなからむ(林葉累塵集) 後水尾院:おのかうへに なきおひてこそ ほとときす まつになこその せきのなもうき(新明題和歌集) 伊豆守真政:いまそしる なこそのせきの せきもりは ひとのこころの おくにありとも(霞関集) 荷田春満:なこそとふ せきありときく あつまちに われよふことり なくそあやしき(八十浦之玉) 少将慶徳朝臣:いにしへの なこそのせきは なのみにて くもちはるかに わたるはつかり(大江戸倭歌集) 藤原経衡:いかなれは おほうちやまの みちにさへ いまはなこその せきをすうらむ(経衡集) 藤原経衡:いかかとも こころのうちに おもへとも なこそのせきの なこそをしけれ(経衡集) 源行宗:ははかりも なこそのせきも こえはてて いまあふさかそ うれしかりける(行宗集) 藤原公重:わきもこか やともたつねて ゆきなまし なこそのせきの あなたならすは(風情集) 藤原頼輔:あやにくに すくるひとをそ ととめける たれかなこその せきといひけむ(頼輔集) 藤原実家:あつまちと なこそのせきは ききしかと つれなきなかに ありけるものを(実家集) 藤原経家:あつまちの なこそとわれに いひおきて いかなるひとに あふさかのせき(経家集) 藤原範宗:くれぬとも けふもこゆへき あつまちや いまはなこその せきもりそうき(範宗集) 沙弥寂身:よひよひに いまはなこその せきすゑて かよはぬなかの みちそはるけき(寂身法師集) 飛鳥井雅有:しひてゆく こころよいかに あつまちの なこそのせきの なをはきかすや(隣女集) 飛鳥井雅有:あふさかに あらぬなこその せきもりを わかこひちには たれかすゑけむ(隣女集) 飛鳥井雅有:なもつらし わかみひとつの ためなれや ひともなこその せきのとさしは(雅有集) 伏見院:さそふへき かせもなこその せきのなに はるをととむる はなそひさしき(伏見院御集) 宗良親王:あつまちと ききしなこその せきをしも わかふるさとに たれかすゑけむ(李花和歌集) 飛鳥井雅世:わかかたに なこそのせきは なきものを いつあつまちに とほさかりけむ(雅世集) 伏見宮貞成親王:よひよひに かよふこころは ゆるさなむ みこそなこその せきちもるとも(沙玉集) 飛鳥井雅親:こころたに せめてかよはは あつまちの なこそのせきは よしへたつとも(続亜槐集) 宗祇:つらきたに はなのかたみを はるのかせ なこそのせきに こころやはある(宗祇解) 後柏原院:みやこには なこそといはむ せきもなし あつまちちかき はるやきぬらむ(柏玉集) 三条西実隆:みちのへに かけふむつきは ゆくくもを そらになこその せきやすゑけむ(雪玉集) 木下長嘯子:あふさかも はなさくころは ふくかせを なこそのせきと いひやかへまし(挙白集) 松永貞徳:あとつけて きなれのさとの ひともあらむ ゆきになこその せきもりもかな(逍遊集) 契沖:うきことを なこそのせきの あなたにも あきたつひより あきかせそふく(漫吟集) 契沖:あとつけむ ひとをなこその せきもりと かせそかたむる にはのしらゆき(漫吟集) 賀茂真淵:あつまちに あるてふせきの なこそとも ととめぬはるの なとおくれけん(賀茂翁集) 賀茂真淵:ふくかせを なこそのせきの やまさくら こころつからそ ちらはちらまし(賀茂翁集) 松平定信:みちのくの なこそのせきは なのみして よにこえにける はなのことのは(三草集) 御子左為家:みちのくの なこそのせきの なこそとも おもはねとまた とふひともなし(為家千首) 御子左為家:わかための なこそのせきを あつまちに たかこころにか すゑはしむらむ(為家五社百首) 登蓮:あふさかを なににいそきて こえにけむ すゑになこその せきもありけり(登蓮恋百首) 花山院長親(耕雲):けにそうき せめてなこその せきなくは ひなのなかちと おもひたえめや(雲窓賸語) 後宇多院:しのひつつ ゆるさぬなかの へたてにて ひとをなこその せきもりそうき(亀山殿七百首) 典侍二位(嘉楽門院):あつまちの なこそのせきや うきひとの こころつからの なにはあふらむ(正平廿年三百六十首) 祖月:やまふかみ むすふいほりの しはしたに うきはなこその せきをすゑはや(熱田本日本紀紙背和歌) 武者小路実陰:よにもにす つらきなこその せきのとに こころのこまも なつむくるしさ(芳雲和歌集) 難波宗勝(飛鳥井雅宣):ここつらや しおみちくれは みちもなし ここをなこその せきといふらん(東遊雑記) 阿闍梨常覚:めいあれは ふたたひ こへつみちのくの なこそのせきの なにはたかひて(ひたち帯 朴翁) 法印宥賀:ここにまつ なこそのせきを すへおきて ひとまつしまの なはかひもなし(ひたち帯 朴翁) 安藤定為(朴翁):おいのみは なこそのせきと きくきくも こえてそみつれ みやこかたりに(ひたち帯 朴翁) 市川弘道:みちのくの のわけやまわけ あかなくに たれかなこその せきといふらん(ひたち帯 朴翁) 安藤為実:たらちねを みちひくわれそ せきのなの なこそはしはし とさしわすれよ(ひたち帯 朴翁) 肥田行正:ここつらや なこそときけと みるひとの こころをとむる せきのなみかぜ(ひたち帯 朴翁) 安藤定輔:をさまれる きみかみくにそ さかもなき ひとはなこその せきとめよかし(ひたち帯 朴翁) 安藤為明(為章):なこそやま もるひともなき せきのなに こころをとめて こへそわつらふ(ひたち帯 朴翁) あひみては おもてふせにや おもふらん なこそのせきに おひよははきき(源氏注) 契沖:とちそひて にほをなこその せきなれや そこなるうおを いけのこほりは(漫吟集)
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歌枕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 00:07 UTC 版)
『古今和歌集』に収録された「末の松山」はその後多くの歌人に詠まれ、実景からは遠のき、「あだし心を持てば波が越す」という歌枕として定着した。13世紀前半に成立した『小倉百人一首』には清原元輔(908年 - 990年)による次の歌が撰ばれ、ますます人口に膾炙した。 「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」(『後拾遺和歌集』恋四) これは、869年の貞観地震による津波の際の様子をうたったものであり、現代語に訳すと次のようになる。 「約束しましたよね。涙を流しながら。末の松山が浪を決してかぶることがないように2人の愛も変わらないと。それなのに」 これは、大津波が襲来したが、津波が末の松山を超えることはなかったということを物語っている。また貞観地震と同様に、東北地方に津波による甚大な被害を出した2011年の東日本大震災の際も、津波が末の松山の手前までは来たが、山を超えることは遂になかったといわれている。 元禄2年(1689年)5月8日には、松尾芭蕉らも訪れ、「奥の細道」に「末の松山は、寺を造て末松山といふ。松のあひあひ皆墓はらにて、はねをかはし枝をつらぬる契の末、終はかくのごときと、悲しさも増りて、塩がまの浦に入相のかねを聞。五月雨の空聊はれて、夕月夜幽に、 籬が島もほど近し。蜑の小舟こぎつれて、肴わかつ声々に、「つなでかなしも」とよみけん心もしられて、いとヾ哀也。」としている。
※この「歌枕」の解説は、「末の松山」の解説の一部です。
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歌枕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 00:03 UTC 版)
「水無瀬川」は万葉の昔から歌に詠まれてきた。ただし、「水無瀬川」とは本来は“表面には流れは見えないが、地下に水が伏流している川”を意味する普通名詞であり、忍ぶ恋を象徴するものと考えられている。ところが、平安京に遷都されて山陽道がこの川の近くを通るようになると「水無瀬川」のイメージが変質し、11世紀に能因が『能因歌枕』でこの川を山城国の歌枕として取り上げて以降、「水無瀬川」が特定の河川を指す歌枕になったと考えられている。 「言急かは 中ゆ淀まし 水無瀬川 絶えてそ事を ありこすなゆめ」柿本人麿/万葉集 「恋にもぞ人は死にする水無瀬川下ゆ我瘦す月に日に異に」笠郎女/万葉集・巻四・598 「あひ見ねば こひこそまされ みなせ河 なににふかめて おもひそめけむ」読人不知/古今集・巻十五・恋歌五・760 「みなせ川ありてゆく水なくはこそつひにわが身を絶えぬと思はめ」読人不知/古今集・巻十五・恋歌五・793 「ことに出でて 言はぬばかりそ 水無瀬川 下に通ひて 恋しきものを」紀友則/古今集・巻十二・恋歌二・607 「水無頼川 をちの通路 みつ満ちて 舟わたりする 五月雨のころ」西行/山家集 「見わたせは 山本霞む 水無瀬川 夕は秋と 何おもひけん」後鳥羽院/増鏡 「川はみな瀬川」清少納言/枕草子
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歌枕(いなの)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 09:49 UTC 版)
しながとり ゐなのをくれば ありま山 ゆふぎりたちぬ やどりはなくて 志長鳥、猪名野を来れば有間山 夕霧立ちぬ宿はなくして読み人知らず 万葉集巻七 「猪名野笹原」は伊丹市にある昆陽池(コヤいけ)あたり。西の方に有馬山(六甲山)が広がる。 有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする大弐三位(紫式部と藤原宣孝の娘・藤原賢子。「狭衣物語」の著者にも擬せられる) 後拾遺集恋三 大阪国際空港と共生する都市宣言にも引用されている。
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