能因法師とは? わかりやすく解説

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能因法師

のういんほうし)平安時代中期歌人俗名永愷<ながやす>。藤原長能<ながとう>に和歌学び、後剃髪して摂津住み古曾部にすみ古曾部入道称した陸奥旅した(とされている)。その際伝説奥州一帯存在する

能因法師の代表作


能因

(能因法師 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/19 06:57 UTC 版)

能因(のういん、永延2年(988年) - 永承5年(1050年)あるいは康平元年(1058年))は、平安時代中期の僧侶歌人。俗名は橘永愷(たちばな の ながやす)。法名は初め融因近江守・橘忠望の子で、兄の肥後守・橘元愷の猶子となった。子に橘元任がいた。中古三十六歌仙の一人。


  1. ^ a b 天坊幸彦 1953, p. 33.
  2. ^ 高槻ゆかりの歌人 -伊勢と能因-”. 高槻市立図書館. 2020年3月31日閲覧。
  3. ^ “國學院校訂 勅撰作者部類”. 国立国会図書館デジタルコレクション. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992685 2020年3月31日閲覧。 
  4. ^ 入江唯信 1981, p. 31.
  5. ^ 伝能因法師墳”. 高槻市 街にぎわい部 文化財課. 2020年3月31日閲覧。


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