服部教一
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服部 教一(はっとり きょういち、1872年8月23日(明治5年7月20日[1]) - 1956年(昭和31年)6月21日[2])は、日本の衆議院議員(立憲民政党)、参議院議員。
経歴
奈良県高市郡阪合村(現在の明日香村)に服部吉平の二男として生まれる。1899年(明治32年)、高等師範学校を卒業。1901年(明治34年)に和仏法律学校(現・法政大学)卒業[3]、同年10月に陸軍教授(東京陸軍地方幼年学校附)に任じられたが[4]、翌月に高等文官試験に合格し、翌年8月には文部省に転属[5]。1904年(明治37年)、留学を命じられ[6]、欧米諸国で教育制度、人口問題、移民問題、社会制度を研究した[7]。1909年(明治42年)に帰国後[8]は、文部省視学官、書記官を務めた。その後内務省に移り、鹿児島県内務部長、広島県内務部長、北海道庁内務部長を歴任した[7][9]。
退官後は北海道拓殖鉄道社長に就任した[7]。また、北海道高等予備学校校長、日本殖民学校校長、札幌法律学校校長も務めた[7]。
1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第19回衆議院議員総選挙でも再選された。
戦後の1947年(昭和22年)に第1回参議院議員通常選挙に出馬し、当選を果たしたが、翌年に公職追放となった[10]。
著書
- 『日本の将来』(富貴堂書店、1928年)
脚注
参考文献
- 『衆議院要覧(乙) 昭和五年四月』衆議院事務局、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
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