北方町_(佐賀県)とは? わかりやすく解説

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北方町 (佐賀県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/25 13:06 UTC 版)

きたがたまち
北方町
大聖寺
北方町旗
北方町章
北方町旗 北方町章
廃止日 2006年3月1日
廃止理由 新設合併
武雄市・山内町北方町武雄市
現在の自治体 武雄市
廃止時点のデータ
日本
地方 九州地方
都道府県 佐賀県
杵島郡
市町村コード 41422-1
面積 27.25 km2
総人口 8,314
国勢調査、2005年)
隣接自治体 多久市武雄市大町町白石町
町の木 まき
町の花 つつじ
北方町役場
所在地 849-2211
佐賀県杵島郡北方町大字志久1557番地
外部リンク 北方町(閉鎖)
座標 北緯33度13分10秒 東経130度04分07秒 / 北緯33.21958度 東経130.06853度 / 33.21958; 130.06853 (北方町)座標: 北緯33度13分10秒 東経130度04分07秒 / 北緯33.21958度 東経130.06853度 / 33.21958; 130.06853 (北方町)
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北方町(きたがたまち)は、佐賀県のほぼ中心に位置していたで、2006年3月1日に隣接する武雄市山内町と合併し、新市制による武雄市となった。

日本国内には他に宮崎県北方町(現・延岡市)と岐阜県北方町があるが、読み方はすべて異なっている。

地理

隣接していた自治体

歴史

江戸時代には長崎街道が通過しており、現在の町域内に宿駅が設けられていた。明治時代には西杵炭鉱が開発されて石炭産業で栄えた。 1949年(昭和24年)5月24日、西杵炭鉱近隣を昭和天皇の戦後巡幸の車列が通過した際には、従業員が奉迎を行い、天皇も車窓からこれに応えた[1]炭鉱は、他の唐津炭田とともに1960年代に閉山した。

沿革

  • 1889年4月1日 - 町村制施行により北方村・橋下村が発足。
  • 1944年4月29日 - 北方村が町制施行。北方町となる。
  • 1956年4月1日 - 橋下村を分割し、北方町と白石町に編入。
  • 2006年3月1日 - 武雄市、山内町と合併し、新市制による武雄市となり消滅。

行政

  • 町長:松本和夫

地域

教育

小・中学校

町立
  • 北方中学校
  • 北方小学校

交通

鉄道路線

道路

高速道路

一般国道

主要県道

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

  • きたがた四季の丘公園
  • 大聖寺

出身著名人

脚注

  1. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、831頁。ISBN 978-4-487-74410-7 

関連項目

外部リンク




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