1916年~1942年国民保健体操から旧ラジオ体操制定へ
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「ラジオ体操」の記事における「1916年~1942年国民保健体操から旧ラジオ体操制定へ」の解説
ラジオ体操の歴史を分かり易く表にしたものです。 1916年(大正5年) 逓信省が国営の簡易保険事業を始める。 1923年(大正12年) 5月 逓信省簡易保険局の猪熊監督課長が海外の保険事業の視察に派遣される。 1925年(大正14年) 3月 ラジオ放送による健康体操がアメリカの生命保険会社で行われる。 4月 簡易保険局の進藤企画課長が海外の保険事業の視察に派遣される。 7月 猪熊氏が海外での見聞をもとに、『逓信協会雑誌』に「放送無線による保険事業宣伝」と題する論説を発表。――「国民の健康保持に基く社会的幸福増進事業」として、ラジオを用いた体操事業を日本に紹介。 1927年(昭和2年) 8月 進藤氏が海外での見聞をもとに、『逓信協会雑誌』に「健康体操放送を開始せよ」と題する論文を発表。 ――日本人の体格向上のため、国民すべてが行うべき運動として、「老若男女を問わず」「誰にでも平易にできる」「内でも外でも、いかなる場所でもできる」「多少趣味的な」体操の開発を提唱。当時旧チェコスロバキアで行われていた、全国民が一斉に行う「ソコール運動」に注目していた、簡易保険局長の田邊氏の考えなどもあり、国民の健康の増進等を目的とし簡易保険局がラジオ体操の実施を決定(天皇陛下御即位の御大礼を記念して行うべき国民的事業を検討するための会議内)。 1928年(昭和3年) 9月 簡易保険局を中心に日本放送協会、文部省等の協力の下に旧ラジオ体操第一を制定。 11月 東京中央放送局からラジオ体操放送開始(朝7時から)NHK江木理一アナウンサー登場。ラジオ体操普及のため体操講演会を昭和4年末まで行う。 12月 ラジオ体操のレコードができる(3枚1組)。 1929年(昭和4年) 2月 ラジオ体操全国放送となる。 1930年(昭和5年) 7月 神田万世橋署の面高巡査がラジオ体操の会(子どもの早起き大会)を始める。その後全国に普及。 1931年(昭和6年) 7月 「ラジオ体操の歌」(小川孝敏作詞、堀内敬三作曲)発表。 1932年(昭和7年) 7月 青壮年向きの体操として旧ラジオ体操第二が制定され、放送開始。 7月 全国ラジオ体操の会始まる(延べ参加人員2,593万人)。 11月 第1回全日本体操祭開催。 1938年(昭和13年)1月 簡易保険事業を厚生省に移管。 1939年(昭和14年)2月 全国ラジオ体操の会を結成。 9月 厚生省は、国民体力の向上のため旧ラジオ体操第三を発表。 12月 旧ラジオ体操第三放送開始。 1942年(昭和17年)11月 簡易保険事業が逓信省に戻る。
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