1916年国防法と世界大戦
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1860年代の南北戦争や1898年の米西戦争など独立後も多くの戦役が経験され、その規模拡大に伴って民兵隊も連邦軍を補完する戦力として期待されたが、従来の民兵隊のままでは、近代戦に対応できないことが問題になった。このことから、まず1903年の連邦法 (Militia Act of 1903) によって連邦政府による民兵隊への関与が強化され、続けて1916年国防法 (National Defense Act of 1916) において連邦軍を補完する「National Guard」として明記された。 翌年の第一次世界大戦参戦に際して派遣されたアメリカ外征軍には、連邦軍とともに多くの州兵部隊も参加した。兵力にしておよそ40パーセントを占め、交戦相手であるドイツ参謀本部が「最も優秀な米軍部隊」と称した8個部隊のうちの実に6個が州兵部隊であったとされている。この活躍を受けて、1933年には1916年国防法が改正されて、州兵への中央統制が強化された。また第二次世界大戦の際には、欧州情勢の急迫を受けて、参戦以前の1940年から既に州兵の動員が開始されており、最終的に戦闘師団18個規模に達する動員がなされた。これによって陸軍の兵力はほぼ倍増し、州兵部隊は全ての戦域に派遣された。 1933年改正国防法(National Defense Act Amendments of 1933)は、連邦政府からの資金提供を受けている各州州兵(National Guard)の隊員について、新設された連邦政府の予備役組織たる合衆国州兵(National Guard of the United States)にも同時に登録されるものとした。これにより伝統的な州民兵組織と州兵は明確に分離され、また各州兵隊員には合衆国州兵隊員として連邦政府の指揮下に入る義務(二重の地位と任務)が付与されたのである。
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