1916年下半期の戦役
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「パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の記事における「1916年下半期の戦役」の解説
6月21日から6月24日にかけて、第 1・2 機動群は「ヤウズ・スルタン・セリム」と「ミディッリ」をボスポラス海峡口にて迎撃した。 8月14日から8月17日にかけて、第 1・2 機動群は機雷敷設任務を行う 3 隻の機雷敷設艦を掩護した。機雷敷設艦は、 400 個の機雷をコンスタンツァ沖に敷設した。 10月17日から10月23日にかけては、巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」は艦隊水雷艇「ブィーストルイ」、「ポスペーシュヌイ」、「プロンジーチェリヌイ」とともにコンスタンツァの石油貯蔵所を砲撃した。これにより、 37 ある石油タンクのうち 15 基が炎上した。 10月25日と11月6日には、「エリピヂフォール」級掃海船の第 234 号掃海船がヴァルナ沖で機雷敷設作戦を実施した。この 2 回の作戦によってヴァルナ沖に合計 440 個の機雷が敷設されたが、「パーミャチ・メルクーリヤ」はこの第 1 回目の作戦に参加し、掃海船を掩護した。 11月30日には、「パーミャチ・メルクーリヤ」はバルチクを砲撃した。 12月23日から12月27日にかけて、戦列艦「インペラトリーツァ・エカチェリーナ・ヴェリーカヤ」、巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」、 3 隻の艦隊水雷艇からなる第 2 戦列艦戦隊と機動群は、「ヤウズ・スルタン・セリム」を迎撃するためボスポラスへ向けて出撃した。この作戦の過程で、アナトリア沖にて 39 隻のオスマン帝国機帆走スクーナーを撃沈した。
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