1916年、皇太子に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 04:25 UTC 版)
「オットー・フォン・ハプスブルク」の記事における「1916年、皇太子に」の解説
1916年11月21日にフランツ・ヨーゼフ1世が崩御して父カールがオーストリア皇帝に即位したのに伴って、オットーは4歳で皇太子になった。11月30日に営まれたフランツ・ヨーゼフ1世の葬儀では、カール1世とツィタに挟まれてカプツィーナー納骨堂への行列の先頭に立った。 同年12月、父のハンガリー国王としての戴冠式がブダペストが挙行された。画家ジュラ・ベンツールのデザインによる錦糸・銀糸で刺繍された白サテンの衣服に身を包んだオットーは、養育係ゲオルク・フォン・ヴァリス伯爵の案内で教会に入り、ブルガリア国王フェルディナントの隣に着席した。この時オットーはハンガリーの人々に注目され、大いに人気を集めたという。 ハンガリー人は皇太子の話でもちきりだが、彼はいかにも利発そうなうえに、素直で初々しいところに人気があるようだ。 — ドイツ大使ヴェデル 1916年、フランツ・ヨーゼフ1世の葬送行列 画家ジュラ・ベンツールのデザインによる衣装を着たオットーの絵画(1917年) 1916年、父帝のハンガリー王としての戴冠式に向かう場面を描いたもの ブダペストでの父帝のハンガリー王としての戴冠式にて(1916年12月)
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