1916-1917年:完成
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「弦楽四重奏曲第1番 (オネゲル)」の記事における「1916-1917年:完成」の解説
1916年11月6日の日付のある手紙で、ヴィドールのクラスでいくつかの作品が演奏されること、その中には師の求めで弦楽四重奏曲も含まれることをオネゲルは報告している。そして1917年7月26日、彼は「仕事の手が止まらず、ようやく弦楽四重奏が完成しました」と述べた。これは1913年に書き始められた第1楽章の最終稿である第3稿を指している。作業は9月まで続き、その最終段階でフィナーレの最終稿への改稿も行われた。 1917年の12月、ヴィドールとダンディは完成した四重奏曲に目を通した。ヴィドールはこの作品を入り組みすぎていると感じ、オネゲルは両親に「ある所では、4人の演奏家が別々の協奏曲を同時に演奏しているか、4人のピアニストがそれぞれ別の曲を演奏しているように聞こえてしまうようです」と書き送っている。
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