第3稿
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「レクイエム (フォーレ)」の記事における「第3稿」の解説
一般的に演奏されている稿である。1900年5月にリールにおいて初演、7月にパリ万国博覧会でも演奏され、大成功を収めたことから「1900年版」とも呼ばれる。フォーレがレクイエムの総譜をアメル社に送ったのは1890年とされるが、同社がこれを出版したのは10年以上たった1901年である。この間、出版社のジュリアン・アメルは、特殊な編成では演奏機会が限られるため、通常の編成に直すようフォーレに対して働きかけたものと見られる。出版された第3稿は、これに応えた形で弦五部と木管を備えた二管編成に拡大された。しかし、第3稿のオーケストレーションについては、フォーレ自身によるものか疑問も出されている。ネクトゥーは、フォーレの弟子ジャン・ロジェ=デュカス(レクイエムのピアノと合唱用のリハーサル譜を手がけた)の手によるものではないかと指摘している。ネクトゥーは第3稿についても校訂しており、これに基づくクリティック・エディションが1998年に出された。
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第3稿(1794年及び1795年)
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「ピアノ協奏曲第2番 (ベートーヴェン)」の記事における「第3稿(1794年及び1795年)」の解説
第2稿と同じくウィーンにて。前述のロンド楽章を外し、現在知られている形の楽章として作成された。また第1楽章の一部とピアノのパートの変更を施している。
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第3稿
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「交響曲第4番 (ブルックナー)」の記事における「第3稿」の解説
第3稿について、かつては(ハース版出版後長い間)、ブルックナーの弟子であるフェルディナント・レーヴェが勝手に、曲本来の構成を無視した大幅なカットを伴う改竄を行った版であるとの評価が普及していた。「レーヴェ改竄版」と称され、顧みられない時期が長く続いた。加えてこの譜面にはブルックナーの承認のサインがなく、この稿の評価の混乱の一因ともなっていた。 2004年に、国際ブルックナー協会からコーストヴェット校訂による第3稿が出版されたことを機に、この版の再評価が始まっている。校訂報告の中で、コーストヴェットは、ブルックナーが正当性を与えた稿であると断じている。もっとも前記のとおり、ハース自身もこの稿の出版を計画しており、この時点ですでに、単に改竄版と言うに留まらない評価がなされていたことが伺われる。初版として出版された第3稿と、コーストヴェット版第3稿とは、本質的には同一なものであるが、校訂者は「細部の相違点は膨大な量があった」と報告している。同時に、ブルックナーの承認のサインがないことについても、印刷譜の誤植の多さ等、出版時の混乱に帰着させて説明している。 第2稿と第3稿を比較すると、第3稿では表情が非常に豊富になっているほか、オーケストレーションの相違が随所に見られる。第3楽章は、第2稿では三部形式(スケルツォ主部はソナタ形式)だが、第3稿では主部からトリオへの移行部分が存在するほか、ダカーポ後のスケルツォ提示部がカットされているなど、非均等な三部形式となっている。第4楽章は、第2稿を基準にすると第1主題の再現がカットより回避されている。第4楽章でシンバルが3箇所使われる(1箇所は強奏、2箇所は弱奏)のも特徴的であり、特に楽章最後で弱奏で使われるシンバルはブルックナーの他の交響曲では見られない楽器法である。ブルックナー特有のアクセントの強いスタッカーティシモが単なるスタッカートに、fffのクライマックスがffに弱められたりしていることも、特徴の一つである。 なお、第2稿を用いながら、部分的に第3稿の表情記号やオーケストレーションを合成して演奏している例は、しばしば存在する。これは演奏者独自の判断によるものである。
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第3稿
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「交響曲第10番 (マーラー)」の記事における「第3稿」の解説
クックがコリン・マシューズ・デイヴィッド・マシューズ(英語版)兄弟、ゴルトシュミットの協力を得て、1972年に発表、1976年に出版したもの。クックはこれを「最終稿」と呼んだ。 初演:1972年、ロンドンにて。 編成表木管金管打弦Fl. 3 Hr. 4 Timp. ● Vn.1 ● Ob. 3 Trp. 4 他 Cym., Tam-t. Vn.2 ● Cl. 3 Trb. 3 Va. ● Fg. 3 Tub. 1 Vc. ● 他 他 Cb. ● その他 Hp 著名な録音1973年、ウィン・モリス指揮、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(Philips) 1979年-1980年、ジェームズ・レヴァイン指揮、フィラデルフィア管弦楽団(RCA) 1980年、サイモン・ラトル指揮、ボーンマス交響楽団(EMI)。 1979年、クルト・ザンデルリング指揮、ベルリン交響楽団(Eterna)打楽器を追加するなど独自の校訂を行っている。 1986年、リッカルド・シャイー指揮、ベルリン放送交響楽団(Decca) 1993年、エリアフ・インバル指揮、フランクフルト放送交響楽団(Denon) 2005年、ミヒャエル・ギーレン指揮、南西ドイツ放送交響楽団(hänssler)。第2楽章コーダのシンバルなど、一部に後述の第2版も取り入れられている。
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第3稿(第2版)
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「交響曲第10番 (マーラー)」の記事における「第3稿(第2版)」の解説
この校訂はクック没後のもので、実質ゴルトシュミットとマシューズ兄弟の3人による。1975年完成、1989年に出版された。 編成表木管金管打弦Fl. 4, Picc.1 Hr. 4 Timp. 2 Vn.1 ● Ob. 4, Ehr.1 Trp. 4 他 Cym., Tri., B.D., Tam-t., ルーテ, Glock., 軍楽太鼓, シンバル付きバスドラム Vn.2 ● Cl. 4, EsCl.1, B.Cl.1 Trb. 4 Va. ● Fg. 4, Cfg.1 Tub. 1 Vc. ● 他 他 Cb. ● その他 Hp 著名な録音1999年、サイモン・ラトル指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(EMI)。なお、ラトルは第10番をもっとも多く演奏している指揮者である。第10番研究の本場・イギリス出身であり、校訂に関わったゴルトシュミットらとも親交があった。 2007年、ダニエル・ハーディング指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(DG)。 2007年、ジャナンドレア・ノセダ指揮、BBCフィルハーモニック(CHANDOS)。
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