1915年改選
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「石川県議会議員選挙」の記事における「1915年改選」の解説
1915年9月24日執行。国政においては前年4月にシーメンス事件で山本内閣が崩壊した後大隈重信に大命降下し政友会から立憲同志会に政権交代しており、石川県では1915年3月に行われた衆議院総選挙で大隈首相率いる同志会が大勝し政友会の勢力は斜陽していた。この選挙から定数が金沢市5名・石川郡4名に変更された。 金沢市 - 米原於菟男(政友会)・餝谷與右衛門(政友会)・米村吉太郎(同志会)・辰村米吉(同志会)・篠原譲吉(国民党) 江沼郡 - 坂野忠宗(同志会)・稲手吉五郎(政友会) 能美郡 - 伊藤六松(同志会)・神田重義(政友会)・東出太平(同志会)・宮川精吉(同志会) 石川郡 - 後藤与五郎(同志会)・堀喜幸(政友会)・北川九郎(政友会)・小林庄太郎(政友会) 河北郡 - 上野寛一(同志会)・森川修(同志会)・久世嘉左衛門(政友会) 羽咋郡 - 林庄吉(同志会)・宇野元種(同志会)・保志場孝造(同志会) 鹿島郡 - 青山憲三(政友会)・濱野太三郎(同志会)・敞田明六(革新)・井上栄蔵(同志会) 鳳至郡 - 岩崎千里(革新)・細木坂東(中立)・布施丑造(革新)・新田与一(革新) 珠洲郡 - 小野郁蔵(革新)・岡村慶三郎(政友会) 結果、与党の立憲同志会は14名、同志会の分派である大隈後援会県政革新団5名と、19名が当選し過半数を獲得した。一方、政友会は10名と奮わず野党の鳳至郡中立派1名と国民党1名を合わせても12名であった。その後、国政では寺内内閣の野党として、同志会および大隈後援会の後進である交友倶楽部が合同し憲政会を発足させた。それに合わせて石川県でも同志会石川県支部と大隈後援会県政革新団は合同して憲政会石川県支部を結成した。
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