1915年改選とは? わかりやすく解説

1915年改選

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 15:02 UTC 版)

石川県議会議員選挙」の記事における「1915年改選」の解説

1915年9月24日執行国政においては前年4月シーメンス事件山本内閣崩壊した大隈重信大命降下政友会から立憲同志会政権交代しており、石川県では1915年3月行われた衆議院総選挙大隈首相率い同志会大勝し政友会勢力斜陽していた。この選挙から定数金沢市5名・石川郡4名に変更された。 金沢市 - 米原於菟男政友会)・餝谷與右衛門政友会)・米村太郎同志会)・辰米吉同志会)・篠原譲吉(国民党江沼郡 - 坂野忠宗(同志会)・稲手吉五郎政友会能美郡 - 伊藤同志会)・神田重義政友会)・東出太平同志会)・宮川精吉(同志会石川郡 - 後藤与五郎同志会)・堀喜幸政友会)・北川九郎政友会)・小林庄太郎(政友会河北郡 - 上野寛一(同志会)・森川修(同志会)・久世嘉左衛門政友会羽咋郡 - 庄吉同志会)・宇野元種同志会)・保志場孝造(同志会鹿島郡 - 青山憲三政友会)・濱野三郎同志会)・敞田明六(革新)・井上同志会鳳至郡 - 岩崎千里革新)・細木坂東中立)・布施丑造革新)・新田与一革新珠洲郡 - 小野郁革新)・岡村三郎政友会結果与党立憲同志会14名、同志会分派である大隈後援会県政革新団5名と、19名が当選し過半数獲得した一方政友会10名と奮わず野党鳳至郡中立派1名と国民党1名を合わせて12であったその後国政では寺内内閣野党として同志会および大隈後援会後進である交友倶楽部合同し憲政会発足させた。それに合わせて石川県でも同志会石川県支部大隈後援会県政革新団は合同し憲政会石川県支部結成した

※この「1915年改選」の解説は、「石川県議会議員選挙」の解説の一部です。
「1915年改選」を含む「石川県議会議員選挙」の記事については、「石川県議会議員選挙」の概要を参照ください。

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