1915年上院議員選挙
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「オーガスタス・スタンレー」の記事における「1915年上院議員選挙」の解説
1915年、スタンレーは下院議員の議席について特に対抗馬もいなかったが、この年の選挙で再選を求めず、上院議員の選挙に出馬する道を選んだ。民主党員の中では他に、現職州知事のジェイムズ・マクリアリーと、元州知事のJ・C・W・ベッカムが出馬していた。マクリアリーが有力候補になることはなく、予備選挙ではスタンレーとベッカムの一騎討ちになった。この二人は党内の2つの大派閥の指導者だった。2人は互いを嫌っていた。スタンレーはかつてベッカムを「ゴーベルの墓で育ったキノコ」と言っていた。これは1899年の州知事選挙で、州知事に当選することになったウィリアム・ゴーベルが暗殺され、副知事だったベッカムが州知事に昇格したことを当てこすっていた。選挙戦の間、スタンレーはベッカムが政治マシーンを使うことを批判し、「小公子」と呼んでいた。 この選挙戦では禁酒法が大きな問題だった。スタンレーもベッカムも酒飲みで知られていたが、ベッカムは禁酒法支持の綱領で選挙に出た。スタンレーは禁酒法反対であり、ベッカムの姿勢を偽善者だと批判し、禁酒法を支持する一般の政治家、特にベッカムは「彼等は大酒を飲みながら、それを売ってくれる者を罰する法を提案している」と批判した。「(ベッカムは)世界を売り尽くして上院議員になろうとしている」とも付け加えた。「ルイビル・クーリエ・ジャーナル」の編集者ヘンリー・ワッターソンや、下院議員ベン・ジョンソンの支持を得たが、当選するまでには至らなかった。民主党の指名大会では、ベッカムが7,000票差で公認候補となり、上院議員選挙でも勝利した。
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