1915年の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 00:13 UTC 版)
橋が流失すると岩田地区は孤立の状態となり不便極まりないため、大滝橋とは別の場所に白鳥橋が木造の吊り橋として当時の大沢寅次郎村長および村の有志によって架橋される事となった。 費用の一部は野上村(現、長瀞町)の補助で大半は岩田地区が負担することとなった。建設の材料は橋板用に秋田杉を買い出した他、個人の欅や近くの白鳥神社の境内の杉を伐採して得た。木材はコールタールで防腐処理が施された。取り付け道路の土地は岩田地区の人々が提供した。橋は地区民の協力で1915年(大正4年)3月に完成し、開通式が挙行された。架設当時の村長の名前から、この橋を「大沢橋」と呼ぶ村民もいた。主塔は木製で桁は木造トラスの補助材が用いられていた。単径間の橋で側径間は有していない。コールタールが塗られたため全体が黒い外見を持つ橋であった。自転車や牛車の他、自動車の通行も可能であった。白鳥橋の開通と共にしだいに自動車の交通量が増加し、頻繁に橋が傷むようになると修繕費が重くのし掛かり、交通の要路でない理由から県の負担は行わないとの事で村や地域の財政を圧迫するようになり、橋の維持が経済的に困難な状況に陥った。橋の老朽化により自動車が通行中に床板が根太(梁)もろとも破れて、運転手は一命を取り留めたが川に墜落して大破する事例もあった。
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