1915年 - 膠着化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:37 UTC 版)
「西部戦線 (第一次世界大戦)」の記事における「1915年 - 膠着化」の解説
ヴォージュと海岸線との間、コンピエーニュ付近の前線には、ノワイヨンという町の近くで突起部が生じていた。1915年に入りジョフルはこの突起部の解消を目的とし、両腹から進撃してドイツ軍を包囲しようと試みた。イギリス軍は北方のアルトワを、フランス軍はシャンパーニュを攻撃することになった。 5月10日のイギリス軍の進撃ではオーベル山稜(Aubers Ridge)を巡るヌーヴ=シャペルの戦い(英語版)が発生した。3キロの前線に4個師団がひしめき合って進撃したイギリス軍による530門21万発、35分間続く激しい砲撃の後に歩兵による突撃が開始され、4時間後には目標の村を占領できた。しかしその後の進撃は糧食と通信の不足によって思うように進まなかった。ドイツ軍は予備部隊を投入して反撃に転じた。イギリス軍は事前の砲撃で砲弾の備蓄の3分の1を消費してしまっていたのであって、ジョン・フレンチ将軍は最初の攻撃の成功にもかかわらず作戦が失敗した原因をそのことに帰している。
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