1915年下半期の戦役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 07:11 UTC 版)
「パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の記事における「1915年下半期の戦役」の解説
1915年5月24日から5月27日にかけて、黒海艦隊主力と 14 隻の艦隊水雷艇はゾングルダク沿岸域において作戦行動を取った。艦隊は沿岸部を砲撃し、通商路を妨害した。 2 隻の蒸気船と 8 隻の帆船を撃沈し、艦隊は帰港した。 7月4日から7月6日にかけて、「パーミャチ・メルクーリヤ」は「カグール」とともにゾングルダク石炭地区の沿岸部への砲撃を行った。同様に、7月27日から7月29日にかけても、石炭地区への砲撃を行った。 8月23日から9月3日にかけて、黒海艦隊主力は新しく竣工した弩級戦列艦「インペラトリーツァ・マリーヤ」をニコラーエフからセヴァストーポリまで護衛した。この新しい弩級戦列艦の配備により、9月には黒海艦隊では 3 つの機動群が編成された。第 1 群は戦列艦「インペラトリーツァ・マリーヤ」と巡洋艦「カグール」、第 2 群は戦列艦「インペラトリーツァ・エカチェリーナ・ヴェリーカヤ」と巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」、第 3 群には戦列艦「エフスターフィイ」と「イオアン・ズラトウースト」、それに「パンテレイモン」が編入された。第 1 群と第 2 群からは黒海艦隊第 1 戦隊が編成され、黒海艦隊第 3 群は第 2 戦隊とされた。 1915年9月17日から9月19日にかけて、第 2 戦隊の戦列艦は巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」、通報船「アルマース」、それに 7 隻の艦隊水雷艇とともに石炭地区の沿岸目標を砲撃した。第 1 群と 5 隻の艦隊水雷艇が、これを掩護した。 10月7日から10月9日にかけて、第 2 戦隊の戦列艦と巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」および「カグール」、 10 隻の艦隊水雷艇、記載敷設艦「クセーニヤ大公妃」、「コンスタンチン大公」、「ゲオルギー皇太子」は、戦列艦「インペラトリーツァ・マリーヤ」の掩護の下、ヴァルナとエフクシノグラトを砲撃した。 続いて10月10日から10月12日にかけて、戦列艦「インペラトリーツァ・マリーヤ」は巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」、艦隊水雷艇「レイテナーント・シェスタコーフ」、「カピターン・サーケン」、「カピターン=レイテナーント・バラーノフ」、「レイテナーント・ザツァリョーンヌイ」、「ヂェールスキイ」、「ベスポコーイヌイ」、「グネーヴヌイ」とともにゾングルダクを砲撃、 2 隻の石炭輸送スクーナーを撃沈した。 1915年11月18日から翌1916年1月27日にかけて、各機動群は 6 度の出撃を記録した。オスマン帝国沿岸域において通商路を妨害し、 23 日間の連続海上滞在日数も記録した。
※この「1915年下半期の戦役」の解説は、「パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の解説の一部です。
「1915年下半期の戦役」を含む「パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の記事については、「パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の概要を参照ください。
- 1915年下半期の戦役のページへのリンク