「パーミャチ・メルクーリヤ」
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「パーミャチ・メルクーリヤ (巡洋艦)」の記事における「「パーミャチ・メルクーリヤ」」の解説
1883年4月9日、艦は「パーミャチ・メルクーリヤ」と改称された。艦名は、退役したコルベットから受け継いだ。この艦名を持つ艦としては、2代目となった。なお、「ヤロスラーヴリ」の名は1885年に巡洋艦「エヴローパ」が改称された際に受け継がれた。 「パーミャチ・メルクーリヤ」は、艦隊の主要攻撃力となる水雷分艦隊の旗艦として用いられた。主砲は、当時の装甲艦から砲艦に至るまで幅広く使用された1877年式 28 口径 152 mm 単装砲 6 門であった。 152 mm 砲の砲架は、若干の修正を経て装甲フリゲート「ドミートリー・ドンスコイ」の設計に使用されている。そのほか、「パーミャチ・メルクーリヤ」は1877年式 107 mm 砲を 4 門搭載していたが、このカノン砲を搭載する艦船は黒海艦隊で唯一であった。 1886年には、巡洋艦「ザビヤーカ」とともにブルガリアのヴァルナ港を訪問した。1893年から1902年にかけては、「パーミャチ・メルクーリヤ」では水上艦用の各種魚雷発射管の運用試験が実施された。この時期、「パーミャチ・メルクーリヤ」は黒海艦隊が保有する唯一の大型巡洋艦であったが、予定された追加の 2 隻の大型巡洋艦がなかなか配備されなかったことから、第一線時代を通じて常に唯一の存在であり続けた。 その後、「パーミャチ・メルクーリヤ」には近代化改修計画もあったが資材不足で実現せず、日露戦争後に 107 mm 砲が 43 口径 47 mm 砲へ交換されただけであった。1907年3月25日付けで、海軍の艦船名簿(英語版)より除籍された。艦名は、本来ともに黒海艦隊の巡洋艦戦力を担うはずであった 2 隻の防護巡洋艦のうちの 1 隻に受け継がれた。
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