「パーミャチ・メルクーリヤ」とは? わかりやすく解説

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「パーミャチ・メルクーリヤ」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/24 23:04 UTC 版)

パーミャチ・メルクーリヤ (巡洋艦)」の記事における「「パーミャチ・メルクーリヤ」」の解説

1883年4月9日、艦は「パーミャチ・メルクーリヤ」と改称された。艦名は、退役したコルベットから受け継いだ。この艦名を持つ艦としては、2代目となった。なお、「ヤロスラーヴリ」の名は1885年巡洋艦「エヴローパ」が改称された際に受け継がれた。 「パーミャチ・メルクーリヤ」は、艦隊の主要攻撃力となる水雷分艦隊旗艦として用いられた。主砲は、当時装甲艦から砲艦に至るまで幅広く使用され1877年28 口径 152 mm 単装砲 6 門であった152 mm 砲の砲架は、若干修正経て装甲フリゲートドミートリー・ドンスコイ」の設計使用されている。そのほか、「パーミャチ・メルクーリヤ」は1877年107 mm 砲を 4 門搭載していたが、このカノン砲搭載する艦船黒海艦隊唯一であった1886年には、巡洋艦「ザビヤーカ」とともにブルガリアヴァルナ港を訪問した1893年から1902年にかけては、「パーミャチ・メルクーリヤ」では水上艦用各種魚雷発射管運用試験実施された。この時期、「パーミャチ・メルクーリヤ」は黒海艦隊保有する唯一の大型巡洋艦であったが、予定され追加の 2 隻の大型巡洋艦がなかなか配備されなかったことから、第一線時代通じて常に唯一の存在であり続けたその後、「パーミャチ・メルクーリヤ」には近代化改修計画もあったが資材不足で実現せず日露戦争後107 mm 砲が 43 口径 47 mm 砲へ交換されただけであった1907年3月25日付けで、海軍艦船名簿(英語版)より除籍された。艦名は、本来ともに黒海艦隊巡洋艦戦力を担うはずであった 2 隻の防護巡洋艦のうちの 1 隻に受け継がれた。

※この「「パーミャチ・メルクーリヤ」」の解説は、「パーミャチ・メルクーリヤ (巡洋艦)」の解説の一部です。
「「パーミャチ・メルクーリヤ」」を含む「パーミャチ・メルクーリヤ (巡洋艦)」の記事については、「パーミャチ・メルクーリヤ (巡洋艦)」の概要を参照ください。

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