防護巡洋艦
防護巡洋艦
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揚威型 : 揚威 - 超勇 済遠 致遠型 : 致遠 - 靖遠 広甲 広乙型 : 広乙 - 広丙 ※広甲、広乙、広丙は本来広東水師の艦だが、合同演習中の1894年、日清開戦により事実上北洋水師に編入された。
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防護巡洋艦
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「ウィリアム・クランプ・アンド・サンズ」の記事における「防護巡洋艦」の解説
ニューアーク (USS Newark, C-1) :1890年3月19日に進水。 ボルチモア (USS Baltimore, C-3) :1888年10月6日に進水。 フィラデルフィア (USS Philadelphia, C-4) :1889年9月7日に進水。 コロンビア (USS Columbia, C-12) :1892年7月26日に進水。 ミネアポリス (USS Minneapolis, C-13) :1893年8月12日に進水。 笠置:大日本帝国海軍の防護巡洋艦。1898年1月20日に進水。 ヴァリャーグ (Варяг) :ロシア帝国海軍の防護巡洋艦、1899年10月31日に進水。
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防護巡洋艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 08:21 UTC 版)
もともとイギリス海軍では、「インコンスタント(英語版)」に見られるように石炭庫を空間装甲のように配置することで防御に利用するという設計思想があった。1876年度計画のコーマス級では、これに加えて、機関部と弾薬庫の上方に相当する部分の甲板を装甲で覆う防護甲板の手法が導入された。そして1880年度計画のリアンダー級では、水平に近い弾道で艦内に突入した砲弾に対する避弾経始を配慮して、防護甲板に反りを持たせて亀甲型とした。装甲帯のような重く高価な垂直防御と比して、このように水線部より若干下方に防護甲板を設ける水平防御の手法であれば、比較的軽い重量で、かつ重心の上昇も抑制しつつ艦の防御力を向上させられると期待された。 そして1883年には、チリ海軍がイギリスのアームストロング造船所に発注していた巡洋艦「エスメラルダ」が進水した。同艦は帆装を全廃するとともに、従来は枢要部のみに設けられていた防護甲板を艦の全長にわたって装着するなど、防護巡洋艦の原型となった。特に装甲帯巡洋艦に限界を感じていたイギリス海軍はこの艦種に着目し、これに範を取ったマージー級(英語版)を端緒として多数を建造し、シーレーン防護のため世界各地に配備した。 しかし1880年代後期以後の速射砲の普及は、防護巡洋艦に破滅的な影響をもたらした。防護巡洋艦では、船体内の艦枢要部は防護甲板の下で守られており、上部構造物については、ここに浸水が生じても隔壁により防止できるという目論見から無防備に晒されていた。しかし1894年の黄海海戦では、短時間に大量の榴弾を投射された結果、艦枢要部が直撃弾を受けずとも、非装甲部が徹底的に破壊されて戦闘能力を喪失する例が多発した。この戦訓から、垂直防御をもたない防護巡洋艦の価値は急激に衰退した。
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