肇和級防護巡洋艦
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肇和級防護巡洋艦 (ちょうわ/ちょうほう きゅう ぼうごじゅんようかん) とは清国が第一次世界大戦前に取得した防護巡洋艦の艦級である。同型艦3隻のうち肇和と應瑞はイギリスで、飛鴻はアメリカ合衆国で建造された。中華民国海軍として日中戦争に従事中の1937年(昭和12年)9月下旬、肇和は珠江で、應瑞は10月下旬に南京戦で、日本海軍の航空母艦などに攻撃されて大破したあと自沈した[1]。飛鴻は辛亥革命のため清国に納入されず、ギリシャの軽巡エリとして運用され、1940年(昭和15年)8月15日にイタリア王立海軍の潜水艦デルフィーノの魚雷攻撃で沈没した。
注釈
- ^ 第二次世界大戦におけるギリシャ・イタリア戦争直前の1940年(昭和15年)8月15日、ティノス島でイタリア王立海軍の潜水艦デルフィーノ (Delfino) の魚雷攻撃で沈没する(バルカン戦線)。当時、ギリシャは中立国だったので大問題となった。
- ^ 中華民国は次級の第64号型巡洋艦をオーストリア=ハンガリー帝国のトリエステ海軍造船所 (Cantiere Navale Triestino) に発注したが、第一次世界大戦により完成しなかった。
- ^ 中華民国空軍の支援攻撃もあり[3]、夕張等は虎門要塞の砲台と交戦したあと撤退していった[4]。
- ^ 当時の加賀は第二航空戦隊(司令官堀江六郎少将)所属。
出典
- ^ a b 日本空母戦史 1977, p. 49中国巡洋艦肇和、砲艦舞鳳撃沈の地図(昭和12年9月26~28日)
- ^ 日本水雷戦史 1986, pp. 32-34中国巡洋艦撃沈
- ^ 戦史叢書72 1974, p. 403南支封鎖部隊敵機の攻撃を受く
- ^ 日本水雷戦史 1986, p. 33夕張に撃沈された中国巡洋艦肇和(チャオ・ホ)
- ^ 戦史叢書95 1976, pp. 111-115航空兵力の南京進出まで
- ^ 戦史叢書72 1974, pp. 404-405南京空襲作戦(第五空襲部隊)攻撃部隊の編制
- ^ 戦史叢書72 1974, pp. 407-410江陰方面中國艦艇攻撃(第二、第五空襲部隊)
- ^ 日本空母戦史 1977, pp. 52-56シナ巡洋艦撃沈(九月二十一~三日)
- ^ 戦史叢書72 1974, pp. 409-410攻撃成果並に所見
- 1 肇和級防護巡洋艦とは
- 2 肇和級防護巡洋艦の概要
- 3 参考文献
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