建造~太平洋戦争開戦までとは? わかりやすく解説

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建造~太平洋戦争開戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 00:33 UTC 版)

夕凪 (2代神風型駆逐艦)」の記事における「建造~太平洋戦争開戦まで」の解説

1922年(大正11年)10月26日佐世保鎮守府にあて佐世保海軍工廠での一等駆逐艦1隻の建造訓令された。訓令時の予算大正11年度から同13年度(1925年3月31日まで)の総額2,498,662円(兵装費は除く)だった翌1923年(大正12年)1月27日佐世保海軍工廠建造一等駆逐艦第十七駆逐艦命名された。同年9月1日、または9月17日起工し1924年大正13年4月23日進水24日第17号駆逐艦改称した1925年大正14年4月24日竣工5月1日第15号駆逐艦朝凪と共に29駆逐隊編制した9月10日、第29駆逐隊第二艦隊編入された。12月25日第13号駆逐艦疾風)が編入され第11号駆逐艦追風)と合わせ4隻体制となった1928年昭和3年8月1日番号表記駆逐艦同時に改称され夕凪ゆふなぎ)と命名された。 1933年昭和8年11月15日、第29駆逐隊第一艦隊所属となる。1935年昭和10年11月15日日本海軍朝凪夕凪で第28駆逐隊新編した。1936年昭和11年6月1日海軍水上機母艦神威と第28駆逐隊朝凪夕凪)で第三航空戦隊編制し6月28日-10月17日南洋水上基地候補地調査のためマリアナ諸島カロリン諸島航海した12月1日附で、第三航空戦隊第十戦隊改編された。1937年昭和12年1月28日-7月10日第十戦隊敷設艦沖島〉、水上機母艦神威〉、第28駆逐隊朝凪夕凪〉)により、再び七ヶ月におよぶ南洋調査行った同時期、盧溝橋事件第二次上海事変により中国大陸情勢緊迫度合いを増す。8月27日海軍はふたたび3隻(神威朝凪夕凪)で第三航空戦隊編成した10月20日第3予備艦となり佐世保警備戦隊編入した。 1940年昭和15年11月上旬にかけて朝凪函館港夕凪は第22駆逐隊皐月水無月文月長月と共に佐世保長崎港防御担当した11月15日に第28駆逐隊解隊し、第29駆逐隊編入される中部太平洋担務する第四艦隊隷下第六水雷戦隊軽巡洋艦夕張〉、第29駆逐隊追風疾風朝凪夕凪〉、第30駆逐隊睦月如月弥生望月〉)に所属した1941年昭和16年前期第四艦隊中部太平洋諸島での演習訓練従事しトラック泊地拠点行動しながら第四航空戦隊第六艦隊との共同訓練実施した

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建造~太平洋戦争開戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 16:15 UTC 版)

神風 (2代神風型駆逐艦)」の記事における「建造~太平洋戦争開戦まで」の解説

詳細は「神風型駆逐艦」を参照 1918年大正7年)、八六艦隊案一等駆逐艦11隻の建造計画議会承認され当時主力駆逐艦峯風型駆逐艦6隻と共に峯風型の改良型駆逐艦3隻の建造予算化された。1920年大正9年)の八八艦隊案駆逐艦32隻の建造承認されると、峯風以降駆逐艦名は量産化対応するため、番号表記変更された。1921年大正10年10月12日着工予定する改良型駆逐艦7隻に第一第三第五第七第九第十一、第十三駆逐艦の各艦名与えられ第一駆逐艦12月15日三菱長崎造船所起工した。これが後の神風である。 1922年大正11年8月24日第一駆逐艦艦艇類別等級表に登録された。9月25日進水12月28日竣工し横須賀鎮守府となった第二から第二十六までの偶数番号は、若竹型駆逐艦充てられた。 建造当初第一駆逐艦基準排水量1270トン航続距離14ノット3,600カイリ主砲12センチ単装砲4門、53センチ魚雷連装発射管3基6門で、基本性能峯風型を上回った艦型含めた抜本的な変更はなかった。1923年大正12年1月6日第一駆逐艦峯風型駆逐艦3隻(野風波風沼風)の第1駆逐隊編入され第3駆逐隊(汐風、夕風太刀風帆風と共に第二水雷戦隊旗艦軽巡北上)に所属した9月1日関東大震災発生時は、第二水雷戦隊と共に航海中だったが、救援活動のため各艦と共へ横須賀戻った1924年大正13年4月24日第一号駆逐艦改称され1926年大正15年12月1日同型艦第一号型駆逐艦呼称設けられた。 1928年昭和3年4月1日掃海艇となっていた初代神風除籍された。8月1日第一号駆逐艦神風型駆逐艦神風改名され同型艦8隻も峯風型同様、すべて風にちなんだ艦名朝風第三号〕、春風第五号〕、松風第七号〕、旗風第九号〕、追風第十一号〕、疾風第十三号〕 、朝凪第十五号〕、夕凪第十七号〕)が与えられた。1929年昭和4年11月30日から1年間、第1駆逐隊野風沼風波風神風)は空母加賀第一航空戦隊編成した1930年昭和5年12月1日、第1駆逐隊第1航空戦隊外れ横須賀鎮守府警備艦予定となった同日から1931年昭和6年1月31日まで、駆逐隊司令小沢治三郎大佐務めた日中戦争では華北華中沿岸作戦従事した1933年昭和8年3月3日昭和三陸地震発生時、神風横須賀港にあり、第1駆逐隊野風沼風、第6駆逐隊の電・と共に同日午後に出港した野風4日早朝までに宮城県気仙沼着き救援あたった峯風型、神風型の基本設計は続く睦月型駆逐艦でも踏襲されたが、1929-32年にかけて1700トン級の吹雪型駆逐艦24隻が順次竣工し1936年昭和11年)にワシントン海軍軍縮条約失効し駆逐艦大型化重武装化が進むと、峯風型・神風型・睦月型駆逐艦主力艦隊の護衛第一線水雷戦隊から徐々に外れ近海警備哨戒船団護衛などの後方支援多くなった。1939年昭和14年11月15日に第1駆逐隊神風野風波風)は大湊要港部所属となり、1940年昭和15年2月10日沼風再編入した。太平洋戦争開戦時には睦月型以前駆逐艦旧式化しており、北洋警備駆逐艦代替として建造され占守型海防艦4隻(占守国後八丈石垣)が開戦直前就役したが、神風など第1駆逐隊は、戦争中期まで北方警備担い続けた

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建造~太平洋戦争開戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 02:03 UTC 版)

疾風 (2代神風型駆逐艦)」の記事における「建造~太平洋戦争開戦まで」の解説

1921年大正10年10月12日峯風型駆逐艦改良型となる駆逐艦(後の神風型駆逐艦)7隻に、第一第十三までの奇数番の駆逐艦名が与えられた。後に疾風となる第十三駆逐艦1922年大正11年8月24日艦艇類別等級表に登録された。9月11日第十三駆逐艦石川島造船所建造される事が決まり11月11日起工した建造中の1924年大正13年4月24日艦名第十三号駆逐艦変わった1925年大正14年3月23日午後4時進水し12月21日竣工した12月25日第十三号駆逐艦佐世保鎮守府籍となり、同型艦第十一号駆逐艦追風)、第十五号駆逐艦朝凪)、第十七号駆逐艦夕凪と共に第二艦隊第二水雷戦隊の第29駆逐隊編入された(艦隊編制文献参照)。 1926年大正15年4月2日第二水雷戦隊済州島西方沖を航行中第十三号駆逐艦第五号駆逐艦春風)に衝突、軽い損傷受けた1928年昭和3年8月1日同型艦9隻の番号艦名一斉に変更され第十三号駆逐艦疾風改名された。同型艦呼称神風型駆逐艦変更された。12月10日、第29駆逐隊4隻(追風疾風朝凪夕凪)は舞鶴要港部配備された。同隊は1929年昭和4年11月30日鎮海要港部1930年昭和5年12月1日第一艦隊1931年昭和6年12月1日鎮海要港部1933年昭和8年11月15日第一艦隊転属した。 1935年昭和10年11月15日、第29駆逐隊疾風追風の2隻となり、空母加賀と共に第二艦隊麾下第二航空戦隊1年間編制した1936年昭和11年12月1日-1937年昭和12年7月28日までは佐世保警備戦隊所属となった同年8月第二次上海事変勃発すると、第29駆逐隊中国行動した9月6日疾風広東省珠江河口付近陸上陣地砲撃した13日には中華民国空軍2機に爆撃された。14日軽巡夕張第五水雷戦隊旗艦)と第29駆逐隊追風疾風)は珠江遡行し、虎門要塞から出撃してきた肇和級防護巡洋艦肇和と交戦した追風別の艦艇戦い夕張疾風砲撃戦で肇和を座礁追い込んだ泊地に戻る途中クレア・リー・シェンノート率い中華民国空軍のA-17軽爆撃機 12機の攻撃を受け、夕張乗員負傷した9月27日疾風追風陸上砲台砲撃した。 第29駆逐隊追風疾風)は1937年昭和12年11月から2年間、第一航空戦隊所属しその間中国方面活動した。この時期一航戦空母加賀昭和13年12月15日まで)もしくは赤城昭和13年12月15日から)であり、第五艦隊作戦従事した1939年昭和14年11月15日、第29駆逐隊第一航空戦隊から外れた1940年昭和15年)には鎮海要港部釜山拠点に、朝鮮半島沿岸警備任務従事した1940年昭和15年11月15日、第29駆逐隊は再び神風型4隻(追風疾風朝凪夕凪となった。同15日付で、トラック泊地根拠地とする第四艦隊隷下新編された第六水雷戦隊配属された。第六水雷戦隊軽巡夕張、第29駆逐隊追風疾風朝凪夕凪)、第30駆逐隊睦月如月弥生望月)で編成されていた。1941年昭和16年1月以降第十八戦隊鹿島天龍龍田)や第六水雷戦隊基幹とする第四艦隊は、マリアナ諸島カロリン諸島訓練演習行った。この演習には第四航空戦隊第六艦隊加わった6月22日独ソ戦開戦により、第四艦隊内南洋常駐となった7月22日第四艦隊の3隻(鹿島夕張朝凪)を除く各艦は、太平洋戦争開戦備えて日本本土での整備命じられ疾風内地戻った7月25日高塚少佐艦長就いた10月中旬から下旬にかけ、疾風を含む第四艦隊各艦はトラック泊地集結した。またグアム島攻略作戦等に備え各方面部隊艦艇が、南洋部隊指揮官第四艦隊司令長官井上成美海軍中将)に編入された。

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建造~太平洋戦争開戦まで

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三隈 (重巡洋艦)」の記事における「建造~太平洋戦争開戦まで」の解説

日本海軍艦齢重ねた旧式艦の代艦を建造することになり、軽巡場合最初に4隻(龍田天龍球磨多摩)を以下4隻(最上鈴谷三隈熊野)と置換することにした。三隈1931年昭和6年12月24日三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)で計画排水量8,636トン水線全長190.5m、15.5cm3連装砲塔5基を備えた二等巡洋艦として起工した建造当たっては、鋼材接合当時日本海軍では少数だった電気溶接多用された。 1932年昭和7年8月1日最上型1番艦が最上2番艦が三隈命名された。同日付で艦艇類別等級表に最上型が新設された。 1934年昭和9年5月31日進水した翌年5月末の完成目指し艤装工事が行われていたが、藤本喜久雄少将設計した千鳥型水雷艇友鶴転覆する友鶴事件発生し藤本設計による最上二等巡洋艦工事急遽中断された。最上調査したところ船体推進付近内部構造破損が見つかり、三隈補強工事を行う。 1935年昭和10年8月29日竣工。この時点基準排水量1万トン超えていたが、対外的には8,600トン公表のままだった。艦内神社大原八幡宮竣工した三隈第四艦隊編入されたが、1ヵ月後の9月26日三陸沖にて第四艦隊事件遭遇した11月15日三隈は第2予備艦指定三隈11月30日より呉工廠入渠修理調整を行う。 1936年昭和11年2月5日に出渠、4月1日より第3予備艦となる。 1937年昭和12年5月7日から10月31日にかけて呉工廠入渠12月1日最上巡洋艦第七戦隊編制された。 1939年昭和14年5月20日第3予備艦指定された。11月15日第七戦隊旗艦熊野指定された。三隈は特別役務艦となり、主砲換装工事とりかかる12月30日、5基の15.5cm三連砲塔を、他の日本軍重巡洋艦共通する20.3cm連装砲塔5基に換装した。1940年昭和15年5月1日工事終えた三隈第七戦隊復帰した第七戦隊1941年昭和16年12月8日太平洋戦争開戦を、司令官栗田健男少将第一小隊熊野鈴谷第二小隊三隈最上の編制迎えた

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建造~太平洋戦争開戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 01:50 UTC 版)

子日 (初春型駆逐艦)」の記事における「建造~太平洋戦争開戦まで」の解説

浦賀船渠仮称60駆逐艦として1931年昭和6年12月15日起工した1932年昭和7年8月1日艦艇類別等級表に初春型駆逐艦新設され、3隻に初春子日若葉艦名与えられた。12月22日進水竣工前の1933年昭和8年9月公試運転中の旋回性能試験復原性能が著しく低いことが判明したこのため初春と同じ9月30日竣工したが、すぐにバルジ増設する工事が行われた。初春子日11月15日に第21駆逐隊編制した。 しかし1934年昭和9年3月友鶴事件発生し、再び呉海軍工廠大規模な改修工事入った初春と共に2番砲塔後部に移すなど上部構造を含む大幅な変更行い外観大きく変わった建造中に同様の改装行った4番初霜9月27日3番若葉10月31日竣工し、ようやく第21駆逐隊同型4隻がそろった11月15日、第21駆逐隊第一艦隊第一水雷戦隊編入した。1935年昭和10年9月第四艦隊事件発生して船体強度見直し図られ結果子日佐世保工廠三度目大規模な工事行い最終的に最大速力33ノットまで低下した1939年昭和14年11月15日、第21駆逐隊第二遣支艦隊15戦隊編入され中国南部活動した1940年昭和15年7月ハノイ入港し仏印監視団西原機関無線局となった。さらにハイフォン移動し9月までその役割担った11月15日千本木十三少佐艦長就任した

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建造~太平洋戦争開戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 14:03 UTC 版)

水無月 (睦月型駆逐艦)」の記事における「建造~太平洋戦争開戦まで」の解説

1923年度大正12年度艦艇補充計画艦。1924年大正13年11月10日浦賀船渠建造する一等駆逐艦に第28号駆逐艦艦名与えられ艦艇類別等級表に登録された。 1925年大正14年3月24日起工1926年大正15年5月25日進水1927年昭和2年3月22日竣工し佐世保鎮守府配属された。4月1日、第27駆逐艦皐月)と第29駆逐艦文月)のいる第22駆逐隊編入した。5月20日、第30号駆逐艦長月)が駆逐隊編入した。 1928年昭和3年8月1日番号名の駆逐艦一斉に改称され、第28号駆逐艦水無月となった1931年昭和6年12月1日第一艦隊第一水雷戦隊配属された。 1934年昭和9年9月27日演習中に皐月発射した魚雷迷走して水無月艦尾命中スクリュー損傷した10月12日夜、演習中に沖縄東方沖で駆逐艦夕風衝突双方損傷した負傷者はなかった。 1936年昭和11年12月1日空母加賀と第22駆逐隊文月水無月皐月長月)は第二航空戦隊編制支那事変のため中国大陸沿岸部を行動した1937年昭和12年10月20日、第22駆逐隊第二航空戦隊所属解かれた。 1941年昭和16年1月軽巡名取等と中国大陸方面行動した4月10日、第22駆逐隊第五水雷戦隊編入5月24日臨時第五水雷戦隊旗艦となった9月20日平山敏夫少佐艦長就いた

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建造~太平洋戦争開戦まで

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睦月 (駆逐艦)」の記事における「建造~太平洋戦争開戦まで」の解説

睦月型艦名当初番号であった睦月1923年7月19日第十駆逐艦艦名舞鶴工作部での建造決まったが、1924年大正13年4月24日第十九号駆逐艦変更された。建造佐世保海軍工廠変更になり、同年5月21日起工1925年大正14年7月23日進水1926年大正15年3月25日竣工した佐世保鎮守府所属し4月1日第二十一号駆逐艦第三駆逐隊編成した1928年昭和3年8月1日駆逐艦番号艦名一斉改称され第十九号駆逐艦睦月となった1930年昭和5年11月中旬昭和天皇岡山県宇野への行幸から横須賀に戻る際、御召艦・戦霧島供奉艦に第30駆逐隊睦月如月弥生卯月)が就いた1935年昭和10年9月26日-27日演習中に第四艦隊事件遭遇し大波艦橋破壊され航海長死亡した。艦の制御一時不能になったが、一人水兵舵輪応急操舵し、睦月沈没免れた修理時に設計変更され艦橋の形が変わった詳細睦月型駆逐艦参照)。1937年昭和12年)から支那事変により中支南支方面進出した1932年昭和7年1月第一次上海事変勃発日本海軍野村吉三郎中将司令長官とする第三艦隊旗艦出雲」)を編制する第一艦隊所属だった第一水雷戦隊旗艦夕張」、第22駆逐隊皐月水無月文月長月》、第23駆逐隊菊月三日月望月夕月》、第30駆逐隊睦月如月弥生卯月》)は第三艦隊臨時編入され第一航空戦隊空母加賀鳳翔、第2駆逐隊峯風澤風矢風沖風》)、第三戦隊(那珂阿武隈由良)等と共に上海市集結、同方面作戦行動従事した1935年昭和10年9月26日-27日演習中に第四艦隊事件遭遇し大波艦橋破壊され航海長死亡した。艦の制御一時不能になったが、一人水兵舵輪応急操舵し、睦月沈没免れた修理時に設計変更され艦橋の形が変わった詳細睦月型駆逐艦参照)。1937年昭和12年)から支那事変により中支南支方面進出した1936年昭和11年12月配置替えにより、第30駆逐隊睦月如月弥生卯月)は第一航空戦隊司令官高須四郎少将空母龍驤鳳翔)に編入された。1937年昭和12年8月上旬第二次上海事変により、第一航空戦隊第二航空戦隊加賀、第22駆逐隊皐月水無月文月長月》)は第三艦隊指揮下に入ると(一航戦8月6日二航戦8月10日編入)、東シナ海進出した8月16日以降、第30駆逐隊空母龍驤鳳翔」を護衛して作戦従事した同年12月1日戦時編制変更により、第一航空戦隊空母加賀」及び第19駆逐隊磯波敷波浦波綾波)となり、空母龍驤」と駆逐艦如月弥生」が第二航空戦隊となる。同航空戦隊は翌年1月青島上陸作戦10月広東上陸作戦従事以後南シナ海行動したその後、第30駆逐隊予備隊をへて第四艦隊編入。さらに「卯月」は第23駆逐隊転出、代艦として「望月」が30駆に編入された。太平洋戦争までの第30駆逐隊睦月如月弥生望月)は主に南洋諸島行動した1940年5月蘭印進駐備えて第四艦隊の第17戦隊千歳神威)、第18戦隊多摩常磐)、第5潜水戦隊由良、第9潜水隊、第13潜水隊、第21潜水隊)、第30駆逐隊睦月如月・弥生望月)がパラオ集結したがこの時の蘭印進駐計画中止となった1941年10月1日、第30駆逐隊司令駆逐艦は「如月」から「睦月」に変更された。

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建造~太平洋戦争開戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 23:09 UTC 版)

最上 (重巡洋艦)」の記事における「建造~太平洋戦争開戦まで」の解説

1922年大正11年)のワシントン海軍軍縮条約戦艦空母保有制限かかった結果日欧米の加盟各国制限のない条約型巡洋艦建造進めた日本海軍旧式艦の軽巡龍田天龍球磨多摩重巡4隻に置換する計画進めたが、1930年昭和5年)のロンドン海軍軍縮会議重巡保有トン数制限されたため、主砲50口径20.3cm連装砲塔から60口径三年式15.5cm3連装砲変更し将来的主砲換装できる巡洋艦建造計画した。これが最上型である。前型の高雄型重巡洋艦比べて艦橋小型化し、機関部61cm三連魚雷発射管など最新技術導入した同様の経緯および本型に対抗する意味を含めイギリスサウサンプトン級軽巡洋艦を、アメリカブルックリン級軽巡洋艦建造した。 こうして最上二等巡洋艦として、呉海軍工廠1931年昭和6年10月27日起工した1932年昭和7年8月1日山形最上川から最上命名され艦艇類別等級表の二等巡洋艦最上型が新設された。 1934年昭和9年3月14日進水したが、2日前に水雷艇友鶴転覆する友鶴事件発生し友鶴と同じ藤本喜久雄少将設計した最上型の工事急遽中断され確認行った1935年昭和10年3月20日公試運転排水量12,669トン154,266軸馬力36ノット発揮するが、推進器附近の外鈑に亀裂が見つかり砲塔旋回困難となった最上型は敷設艦八重山潜水母艦大鯨等の建造得た電気溶接技術を艦全体採用した技術的に途上部分があり、砲塔リングサポート(リングバルクヘッド)を高角砲甲板直接溶接し結果船体歪み甲板伝ってリングサポート変形させたと判明したその後公試運転では4月10日66,009馬力で30.868ノット6月10日100,403馬力で33.522ノット記録した竣工は約2か月遅れて7月28日になり、呉鎮守府籍に編入した。8月10日公試では128,989馬力で35.036ノット記録した竣工後、呉警備戦隊旗艦重巡加古交代務めた最上第四艦隊所属したが、9月26日三陸沖での演習第四艦隊事件遭遇しカタパルト固定していた水上機大破前部構造物の垂直鋼板ひずんで第二砲塔旋回不能となったこのため竣工からわずか2か月大改修必要になった。1936年昭和11年3月-4月、呉警備戦隊旗艦潜水母艦長鯨交代務めた1939年昭和14年)、最上呉海軍工廠主砲50口径20.3cm連装砲塔5基に換装する工事着手した。この工事性能上は一等巡洋艦重巡洋艦になったが、対外的には戦没まで15.5センチ搭載二等巡洋艦軽巡洋艦)で通した。この換装工事2番砲塔砲身が1番砲塔との間に入りきらなくなり、常に軽い仰角をかけることになった1940年昭和15年5月1日第七戦隊編入された。1941年昭和16年)に海南島進出し仏印進駐作戦支援した

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