戦争中期とは? わかりやすく解説

戦争中期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 07:31 UTC 版)

フリードリッヒ・フォン・デア・ハイテ」の記事における「戦争中期」の解説

フォン・デア・ハイテは1942年7月から1943年1月まで東部戦線従軍した後、降下猟兵教導大隊の指揮官として北アフリカ戦線移った。彼は第二次エル・アラメイン戦の後、ドイツ軍の撤退中にイタリア軍戦車師団壊滅する様を目にした事を回想の中で述べている。

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戦争中期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 00:46 UTC 版)

摩耶 (重巡洋艦)」の記事における「戦争中期」の解説

8月7日アメリカ軍ウォッチタワー作戦発動しガダルカナル島ツラギ島急襲して占領した11日第四戦隊愛宕高雄摩耶)、戦艦陸奥第四水雷戦隊軽巡由良、第9駆逐隊朝雲峯雲夏雲》、第27駆逐隊時雨白露有明夕暮》等)は呉を出港してトラック島泊地進出ガダルカナル島の戦い加わった24日第二次ソロモン海戦前進部隊として参加する摩耶前日行方不明になっていた由良偵察機収容その後アメリカ軍艦載機20機の空襲を受けるが、摩耶損害はなかったものの、同航していた水上機母艦千歳損傷受けた9月9日索敵のため第四戦隊愛宕高雄摩耶)、第五戦隊妙高羽黒)、第八戦隊利根筑摩)、第四水雷戦隊由良等)と共にトラック泊地出撃13日には第三戦隊(金剛榛名)と合流する14日ガダルカナル北東200浬の地点前進部隊B-17爆撃機空襲を受け、妙高戦死者2名を出した。特に戦果もないまま、各艦は23日トラック泊地帰港した10月15日夜、第五戦隊重巡洋艦妙高第二水雷戦隊軽巡五十鈴第31駆逐隊高波巻波長波》、第24駆逐隊海風江風涼風》)と共にガダルカナル島ヘンダーソン基地艦砲射撃作戦参加し砲撃成功妙高は20cm主砲463発、摩耶450発を発射した10月26日南太平洋海戦参加近藤信竹中将前衛艦隊所属して敗走する機動部隊追撃し大破した米空母ホーネット(USS Hornet, CV-8) を捕捉しホーネット撃沈貢献した30日トラック帰港した詳細は「第三次ソロモン海戦」を参照 11月摩耶外南洋部隊支援隊に編入され5日ショートランド諸島ショートランド泊地)に進出する12日ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃向かった第十一戦隊(戦艦比叡霧島)以下挺身攻撃隊(挺身艦隊)が米巡洋艦部隊指揮官ダニエル・J・キャラハン少将)と遭遇し第三次ソロモン海戦勃発した12日-13日日本海軍比叡駆逐艦2隻(夕立、暁)を喪失してしまう。これを受けて連合艦隊司令長官山本五十六大将)は外南洋部隊支援指揮官西村祥治第七戦隊司令官ヘンダーソン飛行場砲撃命じた11月13日午前5時40分、七戦隊司令官西村少将率い重巡2隻(鈴谷摩耶)、軽巡天龍駆逐艦4隻(夕雲巻雲風雲朝潮)はショートランド泊地出撃同日深夜ガダルカナル島海域突入し重巡2隻(鈴谷摩耶)は飛行場砲撃敢行警戒部隊天龍夕雲巻雲風雲朝潮)はアメリカ軍魚雷艇から重巡2隻を護衛した14日戦場からの離脱中にアメリカ軍空襲を受け、重巡衣笠沈没し重巡鳥海軽巡五十鈴被弾した。午前11時頃、F4Fワイルドキャット摩耶左舷高角砲甲板体当たりし火災発生したとするアメリカ軍記録によれば空母エンタープライズから発進したSBDドーントレス急降下爆撃機2機(フーガーヴァーフ少尉機、ハローラン少尉機)は、日本艦隊全貌見ていた。炎上した衣笠周囲に2隻の駆逐艦がおり、軽巡洋艦1隻と駆逐艦1隻が衣笠15km西、重巡洋艦1隻と駆逐艦1隻が衣笠の20km南西を西に向かっていた。フーガーヴァーフ少尉機は重巡洋艦爆撃した至近となった。ハローラン少尉機は行方不明となり、フーガーヴァーフ少尉機は1隻の巡洋艦から激しい煙が上がるのを目撃した本戦闘により魚雷16本を投棄し沈没免れる38名が戦死47名が負傷している。応急修理の後、トラック泊地帰投戦艦大和の傍では、一万トン重巡洋艦摩耶とは親子ほどの違いがあったという。1943年昭和18年1月5日日本戻った1943年1月30日、「摩耶」は北方部隊編入された。「摩耶」は2月20日横須賀離れ2月22日大湊第五艦隊司令長官旗艦となり、2月27日幌筵進出(または2月26日幌筵入港)。3月4日、「那智」が幌筵到着し旗艦となったアッツ島への輸送従事していた「あかがね丸」が2月20日アメリカ水上艦艇により撃沈されたことから、北方部隊ではその大半投入して輸送船団護衛を行うこととした。3月7日アッツ島への輸送を行う第二十一船団(イ船団)とその護衛続いて那智」、「摩耶」などからなる北方部隊の主隊および掩護部隊幌筵海峡出撃3月10日船団アッツ島到着し10月13日全部隊が幌筵海峡帰投した。 続いて、再び船団護衛のため出撃3月27日第五艦隊司令長官細萱戊子郎中将指揮の元、重巡2隻(那智摩耶)、軽巡洋艦2隻(多摩阿武隈)、駆逐艦4隻(第21駆逐隊若葉初霜》、第6駆逐隊、電》)と共にアメリカ艦隊指揮官チャールズ・マクモリス少将重巡1、軽巡1、駆逐艦4)と交戦したアッツ島沖海戦)。摩耶接近するアメリカ巡洋艦遠ざかるアメリカ巡洋艦取り違えた上に、高角砲のためのデータ主砲砲術長に送り、さらに残弾があったにも関わらず全弾撃ち尽くした勘違いするという失態犯した主砲弾904発、魚雷8本を消耗したが、アメリカ艦隊追撃失敗した幌筵海峡への帰投後、3月31日に「那智」、「摩耶」などは整備のため横須賀へと向かった。「摩耶」は5月15日横須賀出港し一時座乗した第五艦隊司令長官による哨戒線の視察の後、5月19日大湊着いた7月キスカ島撤退作戦には、燃料消費観点から参加していない。8月横須賀帰港し9月15日南方戦線向かった詳細は「ラバウル空襲」を参照 1943年昭和18年11月上旬、『ろ号作戦ブーゲンビル島沖航空戦)』に呼応してブーゲンビル島上陸作戦支援するため、第二艦隊司令長官栗田健男中将旗艦愛宕」)が指揮する第二艦隊重巡洋艦7隻(愛宕高雄鳥海摩耶鈴谷最上筑摩)、軽巡洋艦1隻(能代)、駆逐艦4隻(玉波、涼波、藤波早波からなる艦隊ラバウル入港した5日第38任務部隊米空母サラトガプリンストン基幹)によるラバウル空襲遭遇した。9時30分、摩耶カタパルト付近に被弾左舷機関室損傷し火災発生した五番砲塔の弾庫では機械室火災のため温度上昇し注水処置がとられた。機関部員が艦上部に脱出するなど、一時は艦放棄可能性もあったが、辛うじて免れることができた。摩耶では戦死70名、負傷者60名を出した。他艦がトラック引き揚げるなか、摩耶航行不能のためラバウル残った烹炊所爆撃破壊されたため、主計科は後甲板行軍釜を据え付けて乗組員食事提供している。ラバウルでは連日摩耶狙って空襲があり、陸上部隊からは「出港急げ」と催促されたという。応急修理結果一軸運転可能となり、11月11日ラバウル出発12ノットくらいで進み13日には潜水艦から雷撃されたが回避した摩耶及び潜水母艦長鯨は、第二水雷戦隊第十戦隊合同部隊能代早波藤波五月雨風雲若月)に護衛されていた。12日軽巡阿賀野が米潜水艦スキャンプ雷撃航行不能となった第二水雷戦隊能代藤波早波)は摩耶護衛中断し第十戦隊阿賀野浦風)の救援向かった11月14日摩耶長鯨護衛駆逐艦五月雨風雲若月)はトラック帰港する15日杉山六蔵艦政本部長損傷各艦を視察し摩耶横須賀回航大修理決定した工作艦明石協力下、トラック在泊中の第一戦隊、第二戦隊、第三戦隊、第四戦隊各艦は工作兵摩耶派遣し応急修理25日終わった11月30日瑞鳳艦長指揮する空母3隻(瑞鳳雲鷹冲鷹)、重巡摩耶、第7駆逐隊(曙、漣)、第17駆逐隊浦風トラック出発して内地へ向かうが、航海中に冲鷹が米潜セイルフィッシュ雷撃撃沈された。駆逐艦2隻(浦風、漣)は艦隊から分離して冲鷹生存者救助した12月4日摩耶横須賀帰投する。その後修理と共に三番砲塔撤去して四〇口径八九式十二糎七高角砲2基を増設するなど、対空兵装強化改装受けた上述参照)。改造1944年昭和19年4月9日完了した1944年4月22日摩耶戦艦大和駆逐艦島風早霜雪風山雲護衛され瀬戸内海出撃した。山雲豊後水道通過後に護衛をやめ平郡島戻り同様に早霜横須賀に向かう。大和隊は4月26日マニラ着、29日出発5月1日リンガ泊地進出14日タウイタウイ泊地前進した6月19-20日のマリアナ沖海戦栗田中将指揮する第二艦隊前衛部隊旗艦愛宕》)に所属して参加する6月20日17時30分、右舷至近弾により若干被害を受け、また左舷への至近弾で舷側バルジ浸水し2度傾斜した16名が戦死し40名が負傷横須賀戻り損傷修理並行して出火対策対空装備の強化が行われた(上述参照)。7月16日出港リンガ泊地進出した

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