戦争体験と国防思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 14:51 UTC 版)
戦争体験は、ワイマール共和国に対する反抗姿勢の決定的なライトモティーフとなっていた。当初、平和主義を帯びていた共和国の世論は、ヴェルサイユ条約によって加えられた軍縮の重圧状態が続くうちに、対外関係に対する怨恨に満ちた非現実的判断に支えられて、国防思想への関心が飛躍的に増大した。そのため、ナショナリストによる組織は、ナチ党や或いはその他政党所属の組織であれ、全て軍隊をモデルに構成され、前線共同体の理念をこの時代の政治闘争の場へ直接移し入れようとする試みであった。 フリードリッヒ・ゲオルク・ユンガーなどは、世界大戦における軍の組織のなかに彼の要求する強国の原理を見出していた。 この強国の中でこそ、国民は社会の様々な中間組織という煩わしい邪魔者なしに直接自己を表現することができるであろう 共和国の内部に生まれたこの闘争集団は、新たな国家の政治的前衛であった。何故ならそれは、新しい国家を目指しているだけでなく、その組織内部において既に新しい政治的秩序を体現しているからである。新たなナショナリストたちにとって、健全な国家秩序のための最善の保証は「政党」ではなく、軍隊を手本に形成された「党」であり、そうした組織は現存の共和国の打倒のためだけに武装する。そこで、1926年当時、F・G・ユンガーは、全ドイツにまたがる一つの強力な党が国家権力を掌握しうるようになるまで、そうした組織を育成し、それに力をつけることをナショナリストの当面、最も緊要な任務とみなしていた。 また、エルンスト・ユンガーの以下の言葉の中に戦争体験に発する、革命的ナショナリストの基本的信念が印象的に要約されている。 戦争こそ我々の父であり、我々を新しい人間として産み落とした胎は、灼熱の塹壕であった。我々はこの出自を誇りを持って確認しようではないか。それだけに我々が世界を測る規準は、利益本位の商人の規準ではなく、英雄の規準、戦士の規準でなければならない エルンスト・ユンガーは「戦争体験の水割り」に反対したが、彼が秘教的な主張を続ける限りそれは説得力をもち得なかった。とはいえ、民族的戦争文学と戦争体験のイデオロギーとが国民の精神に深く根をおろしていたかは、当時の論文などからも推測できる。例えばエーリヒ・マリア・レマルクの作品に対して発せられた彼らの幾つかの批判を見ただけでも明らかである。 この本は最も純粋に敗北精神を表している。作者が国家意識も民族感情ももたぬ私的人間であればこそ、厚顔にも戦争を断罪できたのだ。何故なら戦争はこうした人間の安逸なブルジョア的精神の真っ只中に荒々しく無遠慮に闖入し、自発的にではなく強制され嫌々ながら遂行する義務を彼に負わせたからである。 また、フランツ・シャウヴェッガーなどはレマルクの作品を「下等人種の戦争体験」と断罪している。
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