機密厳守の失敗と教訓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 16:28 UTC 版)
なお、バーブの戦果は1945年1月24日、グアムに置かれた太平洋艦隊前進司令部の日例会議で報告されたが、アメリカ海軍のチェスター・ニミッツ長官は「潜水艦作戦の内容を公表するのは少なくとも60日後とする」と命じた。これは、以前ある政治家にブリーフィングしたところ、その政治家が報道陣に対して「日本海軍の爆雷調定深度は浅いためアメリカ潜水艦の被害は少ない」と喋ってしまい、その後アメリカ潜水艦の被害が激増して10隻ほどを喪失した経験によるものだったという。 実際、戦争中期まで本当に日本の爆雷調定深度は浅く、下記のような状態で沈降速度も連合軍の使用した爆雷に比較して遅いものだった。 九五式爆雷:爆発最大調定深度 60メートル 二式爆雷:爆発最大調定深度 150メートル 三式爆雷:爆発最大調定深度 200メートル これに対してアメリカ潜水艦は次のような性能を持っており、戦争期間を通じて全般的に性能で優越した艦を投入した。 ガトー級潜水艦:圧壊深度 約200メートル以上 バラオ級潜水艦:圧壊深度 約300メートル以上 マスコミに暴露されるなどの障害があったにも関わらず、なお勝利に結びつけられた理由は、物量の他、このような質の面での差も影響している。
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