大鯨とは? わかりやすく解説

大鯨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/21 05:01 UTC 版)

大鯨(たいげい)は、




「大鯨」の続きの解説一覧

大鯨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 16:50 UTC 版)

龍鳳 (空母)」の記事における「大鯨」の解説

日本海軍本格的な潜水母艦として迅鯨型潜水母艦2隻(迅鯨長鯨)を保有していたが、八八艦隊中型潜水艦対応した能力であった昭和時代入って潜水艦高性能化が進むと、迅鯨型は潜水母艦として性能不足する至った。この状況下、巡潜・海大潜に対応した潜水母艦として建造されたのが、大鯨 と、高速給油艦から潜水母艦になった剣埼である。前述のように、有事には航空母艦改造することを前提とした設計だったが、潜水母艦能力迅鯨型より飛躍的に向上していた。 潜水母艦大鯨は横須賀海軍工廠にて1933年昭和8年4月12日起工された。同年5月23日、大鯨(たいげい)と命名。大鯨は、日本海軍1万トン大型艦として初め電気溶接多用した。大鯨の計画喫水線長は211.12メートル達し、これは重巡高雄妙高より約10長く大正期戦艦山城より若干長い当時日本海軍艦艇溶接適用されていたのは、横隔壁上部構造のような船体縦強度計算に関係のない部分限られていた。それを一挙に縦強度にもおしひろげ、シャフトブラケットやスターンチューブ、スターンフレームなども全て鋼板打物とを溶接組み合わせられた。また、溶接ブロック方式考案実行されたため全体溶接工事量は膨大であった。そのため溶接工急速に養成され最初70程度だったものが最終的に200人以上になる(その大部分が三級溶接工であった)。 こうして大鯨の建造進んだが、溶接過程歪み発生有効な解決策がないまま船体への溶接上部に進むに従ってキール前後端の歪みがますます大きくなっていった。そのため船殻工事完成した頃には艦首端でキールの上歪み150ミリ艦尾カットアップ100ミリほどになってしまう。この歪みのためにスクリューシャフト取付必要な軸心見透しができなかった。また、日中太陽の熱で暖められ上甲板が、夜になり冷えてくると収縮し船体前後端が上方にひっぱられ、鋼板がきしみ夜泣きのようにキーン甲高く響いていたという。この歪み解消するためいくつかの方法試みられるがうまくいかず、ついに船体切断が行われる。艦尾自重によって下降させようやく歪み矯正。この切断部はリベットにより連結された。これらの努力により起工後わずか7ヶ月という短期間進水した。しかしこの時、大鯨はまだスクリューシャフトを通していなかった。進水式日程昭和天皇知らされており、工事を急ざるを得なかった。10月28日横須賀海軍工廠に大鯨艤装事務所設置する11月16日、大鯨は進水した横須賀工廠はただちに最上巡洋艦3番艦「鈴谷」の建造準備入り、同艦は大鯨と同一船渠12月11日起工した。 大鯨は進水直後ドック入りしてふたたび軸心見透し行った結果歪み除去が十分でなく、船体切断箇所中甲板まで広げて同一箇所で再切断、また艦首部にも切断箇所設けリベットにより再結合された。起工翌年1934年昭和9年3月31日に大鯨は竣工し横須賀鎮守府籍となる。ただし予算上の問題のための形式上のものであり、居住設備艤装一部未了電気配線一部仮設のまま、主機の運転も済んでいなかった。大鯨艤装事務所撤去したものの、そのまま大鯨陸上事務所改名した予備艦となって引き続き工事続行同時に友鶴事件対策工事行い固定バラスト搭載などを行った空母改造秘匿するために最上甲板(空母時の飛行甲板)に搭載予定だった短艇類は一部残して艦尾移動させた。補給真水タンク同所設置予定だったが、後部機械室予定され箇所移動した同年7月1日呉鎮守府転籍11月15日練習艦となり、11月20日実質的に竣工した11月下旬、大鯨は横須賀出発した24日には伊勢神宮沖合到着する翌日出発し、呉に到着した。ただし細部艤装未決定部分があり、翌年春頃まで呉海軍工廠艤装工事行ったという。 基本計画時の公試排水量10,500トンは、竣工時計画で公試排水量10,717トンにまで増えていたが、友鶴事件対策で更に固定バラスト1,000トン搭載し計画公試排水量11,717トンとなった。また実際排水量公試排水量12,662トン満載排水量14,282.5トンとなっていた。兵装機銃射出機高射装置などがまだ未装備であり、探照燈も未装備だった。高角砲1935年(昭和10年)春頃までは12cm連装高角砲2基を搭載しており、同年秋頃には12.7cm連装高角砲換装されていた。偵は一四式水上偵察機搭載されていた。 日本海軍大型艦艇初め採用されディーゼルエンジン問題多く発煙多く故障続出し出力予定半分の馬力がせいぜいであり、根本的な欠陥示した同年9月18日行われた公試では18,254馬力で20.1ノットだったという。当時潜水艦用主機としてディーゼルエンジン成功収めており、ドイツ海軍装甲艦ドイッチュラントディーゼルエンジン採用したことから、日本海軍大型水上艦用ディーゼルエンジン試作1932年(昭和7年)から始めていた。しかし、ドイツ場合でも実用化には約10年かかっており、大鯨への採用日本海軍関係者一部でも無謀とされていた。 また竣工翌年9月には第四艦隊事件発生した。大鯨は第四艦隊第二戦隊(足柄川内、大鯨)となり、アメリカ軍戦艦想定され参加した9月26日午後2時10分、大鯨は後部防水扉の破損により舵取機室昇降口から海水流入電動機故障により舵がきかなくなり台風の中で人力操舵余儀なくなされた同日には第一航空戦隊龍驤鳳翔)や第四水雷戦隊各艦も台風損害受けている。横須賀入港後の調査では、船体溶接部分に亀裂が見つかり、応急修理受けたあと呉に向かった1936年昭和11年1月、再び横須賀戻り同年2月から翌年7月まで主機換装性能改善工事を行う。またこの時、二・二六事件遭遇している。 日華事変勃発により一旦工事終えて1937年昭和12年8月第3艦隊編入し中国方面出撃同年10月には再度予備艦となって工事再開した第四艦隊事件対策後に空母改造再検討し結果、更に船体補強バルジ装着固定バラスト追加などが必要となっていた。これらは1938年(昭和13年)夏に大臣決裁得て同年中に工事終了したという。この時点高射装置右舷射出機1基を搭載、更に船体側面にはディーゼルエンジン吸気口思われる構造物追加されている。第4艦隊事件対策として艦尾甲板を1甲板上げたのもこの時とされる。 これらの問題解決時間費やした結果実際就役大幅に遅れて1938年昭和13年9月5日第一潜水戦隊編入された。9月8日第一潜水戦隊旗艦伊7から大鯨に変更された。 1938年昭和13年)の艦隊編入後は、北支方面南洋方面進出し隷下潜水艦と共に活動した1940年昭和15年11月15日日本海軍第六艦隊新編する。大鯨は同艦隊第一潜水戦隊編入当時第一潜水戦隊第六艦隊司令長官の直率部隊だった。翌1941年昭和16年1月16日には1日だけ第六艦隊旗艦練習巡洋艦香取から引き継いだ4月10日には第六艦隊第二潜水戦隊編入された。呉で整備中の5月1日日本海軍第一潜水戦隊司令部新編する(司令官鋤柄玉造少将)。第一潜水戦隊旗艦特設潜水母艦さんとす丸指定され、大鯨は5月3日伊号第七潜水艦より第二潜水戦隊旗艦引き継いだ9月3日、大鯨は軽巡洋艦五十鈴より第三潜水戦隊司令官三輪茂義少将旗艦引き継いだ10月3日第三潜水戦隊旗艦は大鯨から伊号第八潜水艦変更された。 11月10日三輪少将(三潜戦司令官)は第六艦隊旗艦香取司令長官清水光美中将)で真珠湾攻撃打ち合わせをおこなう。翌11日、三潜戦旗艦を大鯨から伊8変更する第三潜水戦隊各艦(旗艦伊8〉、第11潜水隊伊74、伊75〉、第12潜水隊〈伊69、伊68伊70〉、第20潜水隊〈伊73、伊71、伊72〉、附属〈大鯨〉)はクェゼリン環礁進出した。大鯨が別行動をとったのは、企図秘匿上の措置である。クェゼリンに三潜戦各艦(大鯨を含む)が終結後11月20日三輪少将(三潜戦司令官)は大鯨艦上初めハワイ作戦を各潜水艦長伝達した参集者の士気大いに揚ったという。翌日以降、三潜戦各艦はハワイ方面出撃した。開戦直前12月4日、大鯨は呉港帰港したその後横須賀回航された。 1941年昭和16年12月8日太平洋戦争勃発する12月中旬潜水母艦剣埼空母改装完了し空母祥鳳改名された(12月22日附)。祥鳳完成先立つ12月20日、大鯨は第三予備艦指定され横須賀海軍工廠航空母艦への改装着手した

※この「大鯨」の解説は、「龍鳳 (空母)」の解説の一部です。
「大鯨」を含む「龍鳳 (空母)」の記事については、「龍鳳 (空母)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大鯨」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

大鯨

出典:『Wiktionary』 (2021/08/15 11:46 UTC 版)

名詞

  (たいげい)

  1. 大きな


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大鯨」の関連用語

大鯨のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大鯨のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大鯨 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの龍鳳 (空母) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA) and/or GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblioに掲載されている「Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ)」の記事は、Wiktionaryの大鯨 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA)もしくはGNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS