ドイッチュラント
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ドイッチュラント(ドイツ語: Deutschland)は、ドイツ語でドイツのことを指す。
帆船
- ドイッチュラント (帆船) - ハンブルク・アメリカ・ライン社の帆船。ハンブルク・アメリカ・ラインが最初に所有した船舶。
軍艦
- ドイッチュラント (フリゲート) - ドイツ帝国海軍のフリゲート。アルフレートとして1818年に建造、1845年にツェザール・ゴーデフフロイへ、1848年にドイッチュラントへ改名。
- ドイッチュラント (装甲フリゲート) - ドイツ帝国海軍の装甲フリゲート。1876年建造。
- ドイッチュラント級戦艦 - ドイツ帝国海軍(Kaiserliche Marine)の準弩級戦艦。5隻建造。
- ドイッチュラント (戦艦) - ドイツ帝国海軍の戦艦。1904年進水。
- ドイッチュラント (潜水艦) - ドイツ帝国海軍の潜水艦(Uボート)。1916年建造。
- ドイッチュラント (練習帆船) - ドイツ練習船協会(Deutscher Schulschiff-Verein)の練習帆船。1927年進水。
- ドイッチュラント級装甲艦 - ヴァイマル共和国海軍(Reichsmarine)およびナチス・ドイツ海軍(Kriegsmarine)の装甲艦(後に重巡洋艦に類別変更)。3隻建造。
- ドイッチュラント (装甲艦) - ドイツ海軍の装甲艦。1931年進水。1940年にリュッツォウ(Lützow)に改名。
- ドイッチュラント (練習艦) - 西ドイツ海軍(Bundesmarine)の練習艦。1960年進水。
客船
- ドイッチュラント (客船・初代) - 北ドイツ・ロイド社の客船。1866年建造。
- ドイッチュラント (客船・2代) - ハンブルク・アメリカ・ライン社の客船。1900年進水。
- ドイッチュラント (客船・3代) - ハンブルク・アメリカ・ライン社の客船。1923年進水。
- ドイッチュラント (客船・4代) - ペーター・デイルマン社の客船。1998年進水。
鉄道連絡船
- ドイッチュラント (鉄道連絡船 - スカンドラインズ社の客船。1997年進水。
ドイッチュラント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/12 14:57 UTC 版)
ドイッチュラント(German submarine Deutschland)は、700 トンの輸送能力があり(その大半は耐圧船殻の外側に搭載する)、浮上航行で15 ノット、潜航で7 ノットを出すことができた。乗員は29人で、かつて水上商船の船長を務めていたパウル・ケーニッヒ(Paul König)に率いられていた。 1916年6月23日に出航した最初のアメリカへの航海では、ドイッチュラントは医薬品や郵便物だけでなく、163トンの非常に人気の高い化学染料を輸送した。探知されることなくイギリス海峡を通り抜け、ボルチモアに1916年7月8日に到着して348 トンのゴム、341 トンのニッケル、93 トンのスズを搭載して、ブレーマーハーフェンへ1916年8月25日に戻ってきた。この過程で8,450 海里を航海し、うち190 海里だけ潜航した。 この航海から得られた利益は1750万ライヒスマルクに上り、これは建造費用の4倍以上であった。これは主に特許で保護されている高度に濃縮された染料の高い価格によるもので、1 ポンド当たり2005年時点での1,254 米ドルの価値があった。それと引き換えに持ち帰られた原材料は、ドイツの戦争工業の需要を数ヶ月分満たすことができた。 同年10月から12月にかけて行われた2回目の航海も大成功し、再度化学物質・薬品・ゴム・ニッケル・合金・スズなどの取引を行った。しかしながら、ドイッチュラントはニューロンドンにおいてタグボートと接触事故を起こしてわずかに損傷した。戻ってくると、船長のパウル・ケーニッヒはドイッチュラントの航海について本を書いた(ゴーストライターによる可能性もある)。この本は米独両国でのプロパガンダを意図していたので、広く宣伝された。 1917年1月に予定されていた3回目の航海は、アメリカがドイツに対して参戦したために中止された。ドイツの潜水艦が、アメリカからイギリスへ向けて送られる貨物を載せた船を、時にはアメリカの領海のすぐ外側で沈めていることに対してアメリカが怒ったことが、宣戦布告の理由の1つであった。ドイッチュラントはドイツ帝国海軍に接収され、改造されて巡洋潜水艦(submarine cruiser、浮上中に戦闘できる砲を装備した潜水艦の一種)のU-155となった。3回の出撃で43隻を撃沈した。終戦後、1918年12月にイギリスへ戦争の記念品として持ち去られた。1921年に解体されたが、解体に際して潜水艦がバラバラになるような爆発事故が起きて5人の解体作業者が死亡するという悲劇的な最後となった。
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