大鰐スキー場の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 05:15 UTC 版)
青森におけるスキー発祥の地である。明治の末、新潟県高田でオーストリアのレルヒ中佐から弘前第八師団で、大鰐出身の油川貞策が講習を受けて、スキー技術を伝えた。スキーは阿闍羅山麓の狐森付近ではじめて披露された。当時は一本杖を繰りながら滑るスキーであった。普通のストックの倍くらいもある長い一本杖で、山歩きに重点を置いたもので、幅広のスキーが使用されていた。油川はスキーの先駆者として技術の指導にあたり、大鰐にスキー場を開設するのに尽力した。 大正12年夏、当時全国スキー連盟会長であった稲田男爵が大鰐を訪れ阿闍羅山を視察して、スキー場には好適な地形と称賛したことから、地元では気勢が大いにあがり、その冬には万難を排して全日本スキー選手権大会の東北予選が開催されたが、観衆はほとんどいなかった。しかし、これが弾みになって大正11年に「大鰐スキー倶楽部」の組織がさらに強化され、第三回の全日本スキー選手権大会の誘致に成功した。油川貞策は部下を引率して大鰐に入り、スキー場を瞬く間に仕上げた。更に、ジャンプ台の新設や宿泊施設の充実などの難題を解決し大正13年全国スキー大会が実施され、以後の発展の端緒となった。 阿闍羅山がスキー場として便利ではなかった頃、人々は登山をして山頂下の山小屋に泊まり込んで春先のスキーツアーを楽しんでいた。それは、三月からの八甲田ツアーの前哨として親しまれていた。現在ゴルフ場になっている高原状の山麓一帯は昔は軍馬平と呼ばれ、無木立の原野が広々と続いていて、格好の初心者向けツアーコースになっていた。
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