第一水雷戦隊とは? わかりやすく解説

第一水雷戦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/25 09:24 UTC 版)

水雷戦隊」の記事における「第一水雷戦隊」の解説

略称は一水戦。主力戦艦部隊第一艦隊)を護衛するための水雷戦隊であり、第二艦隊所属である第二水雷戦隊よりやや旧式駆逐艦構成された。太平洋戦争開戦直前想定していた日米艦隊決戦における夜戦では、一水戦と第六戦隊青葉加古衣笠古鷹)で第三夜戦隊編成する太平洋戦争開戦時は、引き続き第一艦隊所属していた。第一水雷戦隊司令官および阿武隈と第17駆逐隊南雲機動部隊警戒隊として真珠湾攻撃セイロン沖海戦に至るまで第一航空艦隊司令長官南雲忠一中将)と行動を共にし、第6駆逐隊や第21駆逐隊南方作戦に、第27駆逐隊第五航空戦隊と共に珊瑚海海戦参加するなど、分散して行動した第二段作戦から北方転戦し北方部隊指揮官第五艦隊司令長官細萱戊子郎中将)の指揮下でアリューシャン列島作戦従事したアリューシャン方面の戦いアッツ島増援作戦アッツ島沖海戦など)。ただしミッドウェー作戦時の第27駆逐隊と第24駆逐隊は、連合艦隊旗艦大和基幹とする主力部隊所属していた。また一水所属だった第17駆逐隊新編第十戦隊転出し一方で第十戦隊の第7駆逐隊(潮、漣、曙)が北方部隊編入されアリューシャン作戦参加した大規模な水上戦闘はアッツ島沖海戦生起したのみで、北方部隊麾下駆逐艦空襲や敵潜水艦により損耗した。 1943年昭和18年4月1日北方方面担当する第五艦隊司令長官河瀬四郎中将)に制式編入された。6月6日旗艦阿武隈座乗中の第一水雷戦隊司令官森友一少将脳溢血指揮不能になり、ビスマルク海海戦負傷し療養中木村昌福少将前職第三水雷戦隊司令官)が第一水雷戦隊司令官補職された。7月キスカ島撤退作戦以後は、第五艦隊僚艦と共に北海道千島列島防備担当した1944年昭和19年2月15日には第五艦隊司令長官志摩清英中将代わる6月中旬サイパン島の戦いがはじまると、一水戦を含む第五艦隊戦艦山城第十一水戦隊によるサイパン島逆上作戦立案された。捷号作戦では第二遊撃部隊所属し小沢機動部隊水上兵力基幹であった。ところが台湾沖航空戦残敵掃討のため先行して出撃命じられその後所属作戦計画混乱極めた結局10月下旬レイテ沖海戦では志摩艦隊としてスリガオ海峡突入するが、10月25日夜戦一水戦旗艦の軽巡阿武隈被雷したため退避中の10月26日沈没)、木村昌福司令官駆逐艦将旗掲げたつづいて一水戦はレイテ島の戦いに伴う強行輸送作戦多号作戦)に従事した同時期、阿武隈の代艦として軽巡木曾内地からフィリピン派遣されるが、マニラ到着直後空襲をうけて大破着底する。また11月中旬第三次多号作戦旗艦島風沈没と共に第二水雷戦隊司令部全滅したため、第一水雷戦隊は二水戦に改編される形で解隊された。

※この「第一水雷戦隊」の解説は、「水雷戦隊」の解説の一部です。
「第一水雷戦隊」を含む「水雷戦隊」の記事については、「水雷戦隊」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第一水雷戦隊」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第一水雷戦隊」の関連用語

第一水雷戦隊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第一水雷戦隊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの水雷戦隊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS