連合艦隊旗艦とは? わかりやすく解説

連合艦隊旗艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 22:10 UTC 版)

大和 (戦艦)」の記事における「連合艦隊旗艦」の解説

1942年昭和17年2月12日大和は連合艦隊旗艦となった参謀達はそれまで旗艦だった長門比べ格段に向上した本艦居住性喜んでいる。3月30日、距離38100mで46cm主砲射撃訓練を行う。第二艦隊砲術参謀藤田正路大和主砲射撃見て1942年5月11日日誌に「すでに戦艦有用な兵種にあらず、今重んぜられるはただ従来惰性偶像崇拝信仰を得つつある」と残した5月29日大和ミッドウェー作戦により山本五十六連合艦隊司令長官座乗して柱島泊地出航したが、主隊として後方にいたため大和直接アメリカ軍砲火を交えることはなかった[要出典]。6月10日アメリカ軍潜水艦に対して二番副砲と高角砲発砲した。同6月14日柱島帰投する[要出典]。 大和機動部隊同行しなかったのは、戦前からの艦隊決戦思想同じく空母前衛部隊戦艦主力部隊という思想元に兵力配備をしたからであり、艦艇最高速度との直接的な関係はなかった。実際主力空母のうち最も低速空母加賀速度差は殆ど0、飛鷹型航空母艦25ノット大和型戦艦より劣速である。ただ、飛鷹型空母民間客船改造した艦で、正規空母ではなく航空母艦護衛はより高速な艦が必要だったのは事実である。実際空母護衛には戦艦の中では高速戦艦分類される金剛比叡榛名霧島用いられることが多かった日本海軍主戦力が空母認識されたのはミッドウェー海戦での敗戦受けてのことであり、この時点では少なくとも編成上は戦艦主力扱いであった1942年昭和17年8月7日アメリカ軍ガダルカナル島来襲してガダルカナル島の戦い始まった8月17日山本長官以下連合艦隊司令部乗せた大和は、空母大鷹春日丸)、第7駆逐隊(潮、漣、曙)と共にソロモン方面支援のため柱島出航する8月21日、グリメス島付近航行し航海中に第二次ソロモン海戦勃発した航空機輸送のため2隻(大鷹、曙)をラバウルに向かわせたのち、3隻(大和、潮、漣)は8月28日チューク諸島トラック泊地入港したが、入泊直前大和アメリカ潜水艦フライングフィッシュから魚雷4本を撃ち込まれた。2本は自爆、1本を回避している。その後トラック泊地待機した9月24日ガダルカナル島への輸送作戦めぐって陸軍参謀辻政信中佐大和に来艦、山本連合艦隊長官会談する。辻は大和大きさ感嘆した。だが、大和最前線投入されることはなかった。ヘンダーソン基地艦砲射撃参加する案も検討されたが取りやめとなった第三次ソロモン海戦では、老艦の金剛型戦艦霧島比叡大和同世代アメリカ新鋭戦艦であるサウスダコタワシントンとの砲撃戦により大破自沈した。この点で大和型戦艦投入ためらった連合艦隊消極性とアメリカ積極性比較する意見もある。

※この「連合艦隊旗艦」の解説は、「大和 (戦艦)」の解説の一部です。
「連合艦隊旗艦」を含む「大和 (戦艦)」の記事については、「大和 (戦艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「連合艦隊旗艦」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「連合艦隊旗艦」の関連用語

連合艦隊旗艦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



連合艦隊旗艦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの大和 (戦艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS