ソロモン方面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 07:02 UTC 版)
日本陸海軍はガダルカナル島撤退後のソロモン諸島防衛線をどこに置くかで意見が対立し、ブーゲンビル島などの北部ソロモン諸島は日本陸軍の担任、ニュージョージア諸島やサンタイサベル島などの中部ソロモン諸島は日本海軍の担任という方針で妥協した。だがソロモン諸島の防衛姿勢はいまだ陸海軍間で一致せず、折衝が続いた。 中部ソロモン地区強化のため、日本海軍は従来より駆逐艦による輸送作戦を実施していた。既に制空権は連合軍側に渡っていたため、その傘の元に連合軍艦艇の行動も活発化した。その結果ニュージョージア島ムンダ地区、コロンバンガラ島ビラ地区(英語版)は3月5日、連合軍艦船により艦砲射撃を受け、同日コロンバンガラ島へ輸送作戦を実施していた日本海軍駆逐艦2隻は、メリル少将率いる任務部隊に襲撃され、全滅する事態となった(ビラ・スタンモーア夜戦)。この頃、南東方面の日本海軍基地航空部隊は練度低下、器材搭乗員の損耗ともに激しく、夜間少数機で行っていた陸攻の夜間爆撃すら実施困難となり、十一航艦の水偵がそれを肩代わりする事態に陥っていた。 2月14日にアメリカ陸軍航空隊や海兵隊航空隊の航空機からなる戦爆連合がブーゲンビル島のカヒリを攻撃し、日本海軍の航空隊が迎撃したが、日本軍は戦闘機一機の損害だったのに対してアメリカ軍は10機を被撃墜され、セントバレンタインデーの虐殺("Saint Valentine's Day Massacre")と呼ばれる被害を出した。4月3日未明、ニューアイルランド島のカビエン港がアメリカ軍の空襲を受け、日本側は第八艦隊の重巡洋艦青葉が大破して擱坐、駆逐艦文月が中破するなどの被害をうけた。 一方連合軍は南部ソロモン諸島(ガ島、フロリダ諸島、ルッセル諸島)および東部ニューギニアのブナ地区を手中にしていた。この方面より発進する連合軍戦闘機と爆撃機は、ムンダ方面、ラエ、サラモア方面を連日のように空襲し、ソロモン諸島方面ではニュージョージア島より南、ニューギニア方面ではダンピール海峡地区より南の制空権を掌握するに至った。3月下旬、連合軍はカートホイール作戦を発令し、南東方面での反攻に出ようとしていた。3月から4月上旬にかけてガ島には米軍の輸送船や艦船が頻繁に入泊し、日本軍は米軍が近くソロモン諸島で攻勢に出るかもしれぬと懸念していた。
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