ソロモン朝(近代)の復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 08:02 UTC 版)
「エチオピア帝国」の記事における「ソロモン朝(近代)の復活」の解説
ハイレ・セラシエ1世(1941年 - 1974年9月12日)1941年、イギリス軍によるエチオピア解放をうけて帰国。1974年、軍部のクーデタにより廃位され、エチオピア帝国は終焉を迎えた。1975年8月27日に殺害される。 アスファ・ウォッセン (1974年9月12日 - 1975年3月12日)ハイレ・セラシエ1世の皇太子。デルグ政権(アマン・アンドム政権)によって(皇帝ではなく)「国王」に指名されたものの実効性はなく、かつ、アスファ・ウォッセン太子自身も父帝ハイレ・セラシエ1世の廃位と自らの国王即位を認めなかった。クーデター時には国外にいたが、そのままイギリスに亡命し、さらにアメリカに移住した。1989年には改めてエチオピア皇帝への登位とアムハ・セラシエ1世の名乗りを上げ、翌年には夫人も「皇后」の称号を名乗った。1997年、バージニア州にて崩御。
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