ハイレ・セラシエ1世とは? わかりやすく解説

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ハイレ・セラシエ1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/26 13:59 UTC 版)

ハイレ・セラシエ1世ቀዳማዊ፡ኃይለ፡ሥላሴ, Haile Selassie I, 1892年7月23日 - 1975年8月27日)は、エチオピア帝国最後の皇帝(在位:1930年11月2日戴冠式が行われた月日) - 1974年9月12日)。アフリカ統一機構初代議長。




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ハイレ・セラシエ1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 08:28 UTC 版)

エチオピアの歴史」の記事における「ハイレ・セラシエ1世」の解説

ザウディトゥ女帝として君臨したエチオピア帝国だったが、諸侯期待されていたのは摂政人気の高いタファリ・マコンネンだった。内政と外交全てにおいてタファリが指揮をとり、ザウディトゥ対立しながらもタファリは混乱した国内安定もたらし1926年陸軍大臣死去する国軍もタファリの支持鮮明にする。外交においては1921年万国郵便連合加入して国際的に文明国仲間入りすると、さらに1924年4月からヨーロッパ外遊し、国際連盟への加入向けて動き出す国際連盟加入にあたってエチオピア奴隷制問題となり、その廃止加入条件となった。タファリはザウディトゥ依頼して奴隷解放勅令発し、無事加入果たした。しかし、奴隷解放令にはザウディトゥ始めとする諸侯反対していたため、実際に主人死亡条件とした先送り内容となっていた。また、列強に対してドイツ通商上の関係を保ちながら、アメリカ日本とも通商関係結んだ。タファリの外交姿勢全ての列強等距離で関係を結び、エチオピアへの干渉牽制させあうという狙い集約される。一方で1928年にタファリは敵対するイタリアとも友好条約結んだ。これは、イタリアをすでに掌握していたファシスト党ムッソリーニによる、永世友好条約呼びかけ応えたのだったエリトリアアッサブ港の自由な使用エチオピア許しそこまで道路建設許可する代わりにアメリカ移民法制定のために毎年10万送還されてくる移民受け入れ先としてエチオピア協力求めるものだった。この条約20年更新で、異議なければ永遠に更新されていくことが合意され、その成立証するために国際連盟への届出さえした。しかし、実際にイタリアがこの条約守った期間は、7年間にすぎなかった。 ザウディトゥ全ての実権をタファリに握られていたことについて、不快の念を抱き続けていた が、1928年頃に大病患い、もはや余命数年という状況に陥っていた。宮殿近衛兵率いるアバ・ウェクァウは、ザウディトゥ意向受けて反乱を起こすが、まもなくタファリに鎮圧される。しかし、ザウディトゥはなおも諦めず1930年にはティグレ不満分子率いて前夫のラス・ググサが立ち上がったものの、これもタファリの対抗勢力たりえなかった。これにより絶望したザウディトゥ退位決心し1930年4月3日、タファリはネグサ・ナガストに即位する。この日よりタファリ・マコンネンはエチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世となった

※この「ハイレ・セラシエ1世」の解説は、「エチオピアの歴史」の解説の一部です。
「ハイレ・セラシエ1世」を含む「エチオピアの歴史」の記事については、「エチオピアの歴史」の概要を参照ください。

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