エチオピアの国家元首の一覧とは? わかりやすく解説

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エチオピアの国家元首の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/08 13:28 UTC 版)

エチオピア帝国の皇帝
ንጉሠ ነገሥት
過去の君主
ソロモン家の紋章
最後の皇帝
ハイレ・セラシエ1世
 在位 : 1930年4月2日 - 1974年9月12日
初代 イクノ・アムラク
最終代 ハイレ・セラシエ1世
称号 皇帝陛下
始まり 1270年
終わり 1974年10月29日
現王位請求者 ゼラ・ヤコブ・アムハ・セラシエ

エチオピアの国家元首の一覧(エチオピアのこっかげんしゅのいちらん)はエチオピア歴代政体における元首の一覧である。政体によって国名及び役職名は異なる。

エチオピア帝国皇帝(王)

エチオピア帝国皇帝は、「ネグサ・ナガスト(諸王の王)」と呼ばれるが時代によって君主の権威に応じ「ネグス」(王)、もしくは「ラス」(諸侯、文字通りには「頭」)と呼ばれていた。

ザグウェ朝

  • マラ・テクレ・ハイマノート(皇帝)
  • タタディム(王)
  • Jan Seyum(王)
  • Germa Seyum(王)
  • Yemrehana Krestos(王)
  • Kedus Harbe(王)
  • ゲブレ・マスケル・ラリベラ(王)
  • ナクト・レアブ(王)
  • ヤットバラク(王、1189年 - 1229年
  • (マイラリ)(王)
  • (ハルバイ)(王)

ソロモン朝

後期ソロモン朝

諸侯たちの時代(王子たちの時代・審判の時代)。ゴンダールの皇帝が名目上のものとなり、各地の諸侯が覇権を競った時代。有力な諸侯によって皇帝は度々すげ替えられたり、立てられたりした。

テオドロス朝

ザグウェ朝(近代)

ザグウェ朝の末裔であるギヨルギス2世が皇帝位にあった期間もまたザグウェ朝と呼ばれる。

ティグレ朝

ソロモン朝(近代)

サヴォイア朝(東アフリカ帝国)

ソロモン朝(戦後)

  • ハイレ・セラシエ1世1941年5月5日 - 1974年9月12日
    1941年にエチオピア解放を受けて帰国。1974年、軍部のクーデタにより廃位、1975年8月27日に殺害される。
  • アスファ・ウォッセン(1974年9月12日 - 1975年3月12日)
    ハイレ・セラシエ1世の皇太子。デルグ政権(アマン・アンドム政権)によって(皇帝ではなく)「国王」に指名されたものの実効性はなく、かつ、アスファ・ウォッセン太子自身も父帝ハイレ・セラシエ1世の廃位と自らの国王即位を認めなかった。クーデター時には国外にいたが、そのままイギリスに亡命し、さらにアメリカに移住した。1989年には改めてエチオピア皇帝への即位とアムハ・セラシエ1世の名乗りを上げ、翌年には夫人も「皇后」の称号を名乗った。1997年、バージニア州にて崩御。

帝政廃止後

関連項目




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