アドワの戦いとは? わかりやすく解説

アドワの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 17:02 UTC 版)

アドワの戦い

エチオピア軍を率いるメネリク2世
戦争第一次エチオピア戦争
年月日1896年3月1日
場所エチオピアティグレ州アドワ英語版近郊
結果:エチオピアの勝利
交戦勢力
エチオピア帝国 イタリア王国
指導者・指揮官
ラス・マコネン英語版 オレステ・バラティエリ
戦力
兵力 12万以上
  • 兵力 1万4527
  • 砲 56門
損害
死亡 1万
  • 死亡 8000
  • 負傷・捕虜 3000
現在のアドワ

アドワの戦い(アドワのたたかい)は、1896年3月1日エチオピア軍とイタリア軍がエチオピアのティグレ州アドワ英語版近郊で戦った会戦。この戦いの敗北が、第一次エチオピア戦争におけるイタリアの敗北を決定付けた。

概要

19世紀にアフリカの大部分はヨーロッパの国々により植民地化され、リベリアを除くと独立国はアフリカの角に隣接するエチオピア帝国だけであった。イタリアはこの争奪戦に出遅れ、資源に乏しいエリトリアソマリアを領有するに留まっていた。この2つの植民地の間にあったのがエチオピアであり、更なる植民地拡大のため、エチオピアへの侵略が開始された。両軍はティグレ州で対峙した。

1896年2月に入ると、両軍とも補給に困るようになった。イタリア本国政府の圧力に負け、オレステ・バラティエリ将軍は2月29日の夜に進軍を命じた。しかし、イタリア軍は複雑な地形に手間取り、相互の連絡にも支障をきたした。エチオピア軍を指揮していたラス・マコネン英語版は、イタリア軍の状況を詳細に観察しており、即座に軍に全面攻撃を命じた。朝にはエチオピア皇帝メネリク2世と皇后タイトゥ英語版の軍も戦闘に参加した。

イタリア軍はわずか1万4527人であったのに対し、エチオピア軍は12万人を越えていたと推測されている。エチオピア軍はイタリア軍を各所で包囲し、撤退するイタリア軍を追撃し続けた。イタリア軍は約1万1000人を失い、エチオピア軍は約1万人を失った。

主力を失ったイタリアは、アディスアベバ条約を締結し、エチオピアの承認を余儀なくされた。敗北の責任はバラティエリに押し付けられ、将軍は罷免された。

この決戦における勝利により、エチオピアは欧州列強による植民地化を回避することができたと評価されている。

関連項目


アドワの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 04:10 UTC 版)

第一次エチオピア戦争」の記事における「アドワの戦い」の解説

詳細は「アドワの戦い」を参照 軍閥とは違いエチオピア主力軍が近代的な装備と戦術獲得している状況知ったバラティエリ将軍は、決戦巧みに回避した。これはエチオピア軍が常備軍制度ではなく長期間亘って軍を動員し続けられない事を理解していたためであった。しかしイタリア本国首相フランチェスコ・クリスピは、ヨーロッパ列強一角を占めるイタリア王国アフリカ人相手戦い避けていると前線の軍を批判し、バラティエリに対して決戦打って出る様に厳命下したやむなくバラティエリは1896年3月エチオピア主力軍の待ち構えるアドワへと向かった1896年3月1日発生したアドワの戦いで1万5000前後イタリア陸軍4個旅団若干エリトリア兵を増援加えて10万を越すエチオピア軍とアドワ北方対峙した。エチオピア軍の内、少なくとも8万人ライフル銃軍服装備した近代歩兵であった。バラティエリは夜襲仕掛けることで少しでも勝機高めようとしたがメネリク2世イタリア陸軍敗れた際に学習しており、万全の体制迎え撃ってバラティエリを落胆させた。戦闘は数と火力両面上回ったエチオピア軍の猛攻によってイタリア陸軍エリトリア民兵隊は多大な損害を受け、最終的にイタリア陸軍の9500人から1万2000人が戦死負傷しエリトリア民兵隊も2000人が死ぬか捕らえられた。エチオピア側も死者・負傷者合わせて1万前後損害出した捕らえられ兵士の内、イタリア人兵士戦後の関係回復望んだメネリク2世方針手厚く扱われた。しかしエリトリア兵士反乱兵は「裏切り者」として右手左足切り落とす残忍な刑に処せられた。

※この「アドワの戦い」の解説は、「第一次エチオピア戦争」の解説の一部です。
「アドワの戦い」を含む「第一次エチオピア戦争」の記事については、「第一次エチオピア戦争」の概要を参照ください。

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