イタリアのエチオピア政策とは? わかりやすく解説

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イタリアのエチオピア政策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 08:28 UTC 版)

エチオピアの歴史」の記事における「イタリアのエチオピア政策」の解説

ベニート・ムッソリーニ エミーリオ・デ・ボーノ ピエトロ・バドリオ 19世紀末からイタリア人口急激な上昇をみせ、国内では抱えきれない余剰人口抱えるようになっていた。イタリアはその問題解決アメリカへの移住によって解決しようとし、アメリカには毎年多くイタリア人移住してアメリカ一大コミュニティ形成していた。しかし、アメリカ移民対す方針転換し1924年移民法成立以降逆に毎年10万人ものイタリア移民送り返すうになるイタリア人口1931年時点で4200万人膨れ上がっており、ファシスト党多産奨励したため、世界恐慌人口爆発重なって社会不安もたらした中でも特に人口過大だったのは農村部であり、そのため農業従事する入植者受け入れ先確保急務となっていたが、エリトリアソマリアには彼らを受け入れ耕作地生産手段不足していた。そのイタリア窮した視点からするとエチオピア農業適したエチオピア高原プラチナダイヤモンドといった資源存在は非常に魅力的に写ったムッソリーニイタリア領東アフリカ帝国建国向けて動き出していた。ムッソリーニイギリスフランスローマ協定を結び、イタリアエチオピア領有への黙認こぎつける侵攻の準備整えつつあったムッソリーニだが、その機先を制したのは日本だった。日本エチオピアとの通商条約締結により、武器弾薬積極的に供与しハイレ・セラシエ1世外交努力もあって新聞連日エチオピアとの親善促していた。また、ムッソリーニ動き決定的に掣肘与えていたのは国際連盟反対動きだった。しかし、日本満州へ侵略することで国際連盟無力さ浮き彫りとなり、ムッソリーニを縛る外れることになる。 エチオピアイタリア領ソマリランドとの国境にあるワルワルという町があった。ワルワルエチオピア東部オガデン近くにあり、地図上はエチオピア領とされていた。しかし、イタリアはこの町の帰属についてエチオピア領有認めておらず、1934年、軍を派遣して占有状態置いたエチオピア主権侵害とみたハイレ・セラシエ1世も軍を差し向け小規模な衝突生じイタリア60人、エチオピア200人が死亡する事態となった。このワルワル事件きっかけに、ムッソリーニは「攻撃的野蛮なエチオピア対抗するためと称して黒シャツ隊イタリア義勇兵)を編成しソマリアエリトリア次々と送り込んでいった。一方皇帝ハイレ・セラシエ1世国際連盟調査団派遣要請しつつ、戦争への準備始めていた。アドワの戦い経験しているムルゲタ陸相イタリア軍備から、毒ガス空軍戦車運用危惧しドイツから防毒マスク26,000個を購入したエチオピア各部族への動員要請し75動員力を確保した軍備空軍対す高射砲戦車対す対戦車銃等の対抗手段確保できなかったが、各部族供出した兵力は主に旧式ライフル銃所持していた。1935年イギリスフランスイタリアに対して、「エチオピア独立名目上維持しながら英仏伊で共同管理する」というエチオピア無視した妥協案をイタリアに示すが、ムッソリーニはこれを黙殺しエチオピアへの単独侵攻決定する同年10月2日ムッソリーニアドワの戦い引き合いにだした演説行い、「我々から日のあたる場所奪った不正義黒人たちに正義教え文明化された我々の場所を取り戻さなければならない」としてエチオピアへの侵攻東アフリカ帝国建国訴えた第二次エチオピア戦争はその翌日から始まる。

※この「イタリアのエチオピア政策」の解説は、「エチオピアの歴史」の解説の一部です。
「イタリアのエチオピア政策」を含む「エチオピアの歴史」の記事については、「エチオピアの歴史」の概要を参照ください。

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