イタリアの「ロベルト」
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ノルマンディー公ロベール1世がエルサレム巡礼を行ったように、10世紀にはノルマン人も聖地を目指すようになっていたと考えられている。その経路になったのがイタリア半島やシチリア島で、当時のイタリア半島は小国家に分裂していた。生来の勇猛さをかわれたノルマン人はこうした国々で傭兵として重宝されたが、やがてノルマン人は力をつけ、100年をかけてイタリア半島の南半分とシチリア島を征服していった。こうしてノルマン朝シチリア王国を築いたのがノルマンディー出身のロベール・ギスカールである。 ロベール・ギスカールの名をイタリア風に読むと「ロベルト・グイスカルド」となる。ロベルトはノルマン人らしい勇猛さと酷薄さを兼ね備えた人物で、トロイア戦争の英雄アキレウスに准えられることもあれば、キリストの誕生を阻止するために国中の幼児を皆殺しにしたヘロデ王の再来と例えられることもある。「ギスカール(グイスカルド)」は「狡猾な」という意味である。 しかし、イスラム教徒の進出に怯える当時のキリスト教世界では、ロベルト・グイスカルドは救国の英雄だった。ロベルト・グイスカルドは、世俗王権と対立した教皇を奉じて、イスラム教徒に支配されたシチリア島を奪還し、東ローマ勢を退け、グレゴリウス7世を救い出し、イタリアの南半分とシチリア島を平定した。その版図は次代に王位を認められシチリア王国となった。ノルマンディーの詩人は、ロベルトをトロイア戦争を勝利に導いたオデュッセウスやローマの哲人キケロを超える英雄と讃えた。 なお、ロベルト・グイスカルドの弟はルッジェーロ(Ruggero)といい、ロベルトからシチリアを与えられ、その子が初代シチリア王(ルッジェーロ2世)となった。「ルッジェーロ」をフランス風にすると「ロジェール」(Rogier)、英語風にすると「ロジャー」(Roger)となる。裸一貫からヨーロッパ世界の要地に大王国を築き上げたロベルト(ロバート)とルッジェーロ(ロジャー)の英雄譚はヨーロッパで憧れの名前となり、兄弟にあやかってその名をつけることが一般的になった。特にシチリア王家の「ロジャー」はヨーロッパでは名門の名前とみなされるようになった。
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