北京オリンピック銅メダルとは? わかりやすく解説

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北京オリンピック銅メダル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 09:02 UTC 版)

永井清史」の記事における「北京オリンピック銅メダル」の解説

2008年2月24日別府競輪場行われた東西王座戦西日本王座戦決勝(9着)を最後に本業競輪休業し以後北京オリンピックまで自転車競技大会しか出場しなかった。迎えた北京オリンピックでは、チームスプリント及びケイリン出場することになった8月15日行われたチームスプリントでは、長塚智広第一走)、渡邉一成第二走)、永井第三走)のトリオ挑み予選タイムは44.545秒で同順位は6位。しかし、1回戦にあたる順位決定予備戦ドイツ敗れたことから、予選の6位という順位そのまま確定順位となった8月16日行われたケイリン』。予選3組登場した永井だが、最終1センター付近で、イタリアロベルト・キアッパ強引な押圧影響して4着入線その後、キアッパが降着処分を受け、3着)に止まり敗者復活戦回りとなった。しかし、1着選手だけしか勝ちあがれない敗者復活戦では堂々と1周半近く逃げ切って勝ち、準決勝進出準決勝では、優勝候補一角目されていたオランダテオ・ボスら2名が1周回目で落車するアクシデント発生ペーサー誘導員)退避前の落車ということもあり、再発レースとなったが、落車したボスら2名は再発レース棄権。そのため、永井含めた4名での戦いとなった結果敗者復活戦同様、永井は1周半近く逃げ最後イギリスロス・エドガー交わされたものの2着に入りオリンピックにおけるケイリン種目では、日本人選手初の決勝進出果たした迎えた決勝では当初最後方の6番手位置していたが、ペーサー退避した残りあと3周通付近より一気に前団へと押し上げ残りあと2周付近では先頭位置立った一方この位置から改め先頭位置に入ることになったイギリスクリス・ホイだけを前に入れ残りあと1周付近ではいわゆる番手勝負となったが、その後優勝することになるホイ道中千切れゴール寸前では力尽きた格好となって銀メダルエドガーにも交わされたが、3位入り銅メダル獲得した。なお、オリンピックでは、現役競輪選手として3回目団体競技での獲得を含む)のメダル獲得となった。 また1996年アトランタオリンピックでの十文字貴信以来となる個人種目でのメダル獲得となったことから、KEIRINグランプリ出場選手選抜方法2項にある夏季五輪個人メダリスト優先出走権与え規定により、12月30日には平塚競輪場行われたKEIRINグランプリ08への出場結果は8着)を果たし、この出場により2009年S級S班格付けとなった2009年4月佐世保競輪場行われた共同通信社杯競輪春一番S級S班出場し共同通信社杯が年度2回開催移行してから初の優勝者となり、自身にとっても初のGII優勝となったこの年終盤には同県先輩である山口幸二年間獲得賞金9位を争うことになったが、最終的に永井滑り込む形でKEIRINグランプリ09出場手に入れ加藤慎平と『闘心會ラインを組むことになったが、見せ場なく7着となった

※この「北京オリンピック銅メダル」の解説は、「永井清史」の解説の一部です。
「北京オリンピック銅メダル」を含む「永井清史」の記事については、「永井清史」の概要を参照ください。

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