北京五輪までとは? わかりやすく解説

北京五輪まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 08:44 UTC 版)

土佐礼子」の記事における「北京五輪まで」の解説

2004年12月15日タヒチで、松山大学先輩村井啓一結婚結婚後も競技続け2005年5月静岡国際陸上10000m出場320766という自己新記録マークした2006年4月アテネ五輪以来1年8か月ぶりのフルマラソンとなるボストンマラソン出走優勝したリタ・ジェプトゥーらには一歩及ばなかったが、3位ゴール同年11月東京国際女子マラソン6年ぶりに出走前年優勝者過去2度五輪代表を争った高橋尚子と、2000年3月名古屋以来6年8か月ぶりの直接対決となった悪天候の中、土佐終始レース支配する展開で高橋競り勝ち、2年8か月ぶりにフルマラソン優勝を果たす。世界陸上選手権女子マラソン代表の内定条件(2時間26以内)には届かなかったが、優勝した事が評価され6年ぶりの世界陸上代表に選出された。 2007年9月2日世界陸上大阪大会女子マラソンにおいて、38km過ぎで5位に落ちるも、驚異的な粘りで40km過ぎまでに2選手抜き3位ゴール銅メダル獲得日本陸上競技連盟選考基準に基づき2008年北京オリンピック女子マラソン代表に内定した他日本代選手野口みずき中村友梨香)。12月27日この年創設され日本陸連アスレティック・アワード初代アスリート・オブ・ザ・イヤー選出される2008年8月17日北京五輪女子マラソンでは、右足外反母趾痛み抱えながらの強行出場となったが、17km付近で足の激痛響いて先頭集団から脱落結局25.2km地点で、沿道にいた夫・村井から「もう良いよ! (走るのを)やめろ、やめろ!!」との大声を耳にした土佐は、その地点で足を止め号泣しながらリタイアとなった野口欠場中村13位に終わり日本女子代表は3人共メダル入賞はならなかった)。土佐現役引退後NHKの「クローズアップ現代」で自ら、北京五輪女子マラソン途中棄権した理由無月経による疲労骨折だったと打ち明け、「12年一度生理が来なかった。どういう骨の状態なのかをもし分かっていれば、競技人生違っていたと思う」とコメントしている。

※この「北京五輪まで」の解説は、「土佐礼子」の解説の一部です。
「北京五輪まで」を含む「土佐礼子」の記事については、「土佐礼子」の概要を参照ください。

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