北京五輪代表選出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 08:15 UTC 版)
優勝すれば北京五輪内定となる2008年6月27日の日本陸上競技選手権の女子10000mでは、日本女子長距離トラックの第一人者である渋井陽子・福士加代子とラスト1周まで競り合った。残り1周の鐘が鳴った後、赤羽が先頭に立ち優勝を目指してラストスパートをかけたが、残り100m過ぎのゴール前の直線で渋井に抜かれ2位であった。それでも赤羽は31分15秒34の自己ベストをマークし、渋井らと共に大会新記録を達成。その2日後の6月29日の女子5000mでも、優勝の小林祐梨子に次いで2位でゴールとなった。 6月30日の日本陸上競技連盟理事会において、「ママさんランナー」としては日本陸上競技界で史上初のオリンピック代表入りを果たす。その後、7月13日のホクレン・ディスタンスチャレンジ北見大会の5000mでは、自己ベストと五輪A参加標準記録を突破し、北京五輪では女子5000mと10000mの長距離2種目に出場する資格を手にした。 しかし、北京五輪ではレース本番の約2週間前に、発熱するアクシデントに見舞われる。その影響が尾を引き、8月15日の女子10000mでは32分00秒37の20位に留まり、8月19日の女子5000m予選は15分38秒30で組12着に終わり決勝進出はならなかった。
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