北京五輪以降
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北京五輪後の2008年8月29日に、「今年度限りで競技者としての現役を退きたい」と第一線からいったん退く意向を表明。その後しばらくは足の治療に専念し、2008年12月には愛媛県松山市へ帰郷した。 翌2009年2月1日、香川丸亀国際ハーフマラソンに出走。北京五輪以来、約半年ぶりの公式レースだったが、1時間10分58秒の4位でゴールする。3月22日、東京マラソン2009に出走。序盤の5Km付近で転倒、右膝を出血するアクシデントに遭いながらもレース後半に追い上げ、3位に入った。この出走を区切りに、選手活動をいったん退くことを発表し、その後は、三井住友海上女子陸上部のプレーイングアドバイザーとして活動した。 同年8月開催の世界陸上ベルリン大会では、8月23日に女子マラソンの中継リポーターとして出演した。9月7日、自身のブログにて妊娠を報告。2010年4月25日に松山市内の病院で第1子(長女)を出産した。 2011年1月30日、大阪ハーフマラソンで、出産後初の公式レースに出場、ゴール記録は1時間22分40秒だった。しかし、エントリーしていた同年2月27日の東京マラソン2011及び同年8月28日の北海道マラソンは、調整不足により欠場した。 出産後初のフルマラソン出走となる、2012年2月5日の愛媛マラソンでは、オープン参加ながら女子選手トップの2時間41分台でゴールインする。一般参加選手として出場の2012年3月11日の名古屋ウィメンズマラソンで、ラストランを表明。序盤から優勝争いには加わらずマイペースを貫いて完走を果たし、現役生活に別れを告げた。 2013年に第2子を出産した。
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