五輪後とは? わかりやすく解説

五輪後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 00:21 UTC 版)

虹と雪のバラード」の記事における「五輪後」の解説

1986年以後日本の高校音楽教科書何度掲載された。 2003年、河邨が初代教授務めた札幌医科大学整形外科パーティで、トワ・エ・モワが「虹と雪のバラード詩碑はどこにあるのですか?」と質問したのをきっかけ詩碑建立計画始まり揮毫は河邨と交流深かった書家中野北溟デザイン札幌市高専教授彫刻家國松明日香依頼した2005年9月11日札幌オリンピック ノルディックスキージャンプ競技舞台となった大倉山ジャンプ競技場詩碑設置され除幕式にはトワ・エ・モワ2人参加してこの歌を熱唱した。なお、河邨は2004年3月30日他界しており、詩碑完成を見ることはできなかった。 2011年から始まったみんなのうた発掘プロジェクト」により、映像提供され2012年3月15日深夜3月16日未明放送の『みんなのうた発掘スペシャル』で、実に41年ぶりの再放送となった。なお同番組では当時映像のほか、当時曲名歌詞などのテロップそのまま放送された。 札幌オリンピック当時多く学校唱歌として採用された。そのため1番2番歌詞知っている人が多い歌でもある。今でも学校唱歌として、時々使用されている。また人が集まるイメージと、町ができあがるイメージなどを盛り込んだ歌としてオリンピック後人々親しまれ、時々CMソングとしても流れ事がある札幌代表する歌のひとつとしてさっぽろ雪まつり会場内でも頻繁に流されている。 2019年2月4日から札幌市営地下鉄東西線南北線同月6日から東豊線到着メロディとして曲のサビ部分アレンジした音楽使用している。2030年冬季オリンピック札幌招致機運高めることが狙いとされており、全49駅のうち半数以上となる26駅で流される

※この「五輪後」の解説は、「虹と雪のバラード」の解説の一部です。
「五輪後」を含む「虹と雪のバラード」の記事については、「虹と雪のバラード」の概要を参照ください。

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