五輪招致失敗後の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 01:12 UTC 版)
「東京オリンピックスタジアム」の記事における「五輪招致失敗後の展開」の解説
2016年夏季五輪の開催地は2009年10月2日にブラジルのリオデジャネイロへ決まり、東京への招致はならなかった。招致活動の先頭に立っていた東京都知事の石原慎太郎は、続く2020年夏季オリンピックの招致(2013年に東京開催が決定)に前向きな姿勢を見せたものの、最終決定は2011年4月に自身の任期を引き継ぐ次期都知事の意向に委ねる姿勢を示し、東京オリンピックスタジアムの建設構想も一時沈静化した。 なお、2018年大会または2022年大会のFIFAワールドカップ開催を目指す日本には、開催規定の「8万人以上の観客収容能力があるスタジアムが国内に1つあること」という規定を満たすスタジアムが現在日本国内にないため、招致構想では2016年夏季五輪の開催地に東京が選ばれることが前提になっていた。日本サッカー協会の犬飼基昭会長は「東京に決まらなければ、W杯の招致は辞退する」と言っていたほどである。また既に日本での開催が決定している2019年ラグビーワールドカップでも、試合会場の候補地の一つとして名前が挙がっていた。 結果的に五輪招致が失敗に終わると、日本サッカー協会は招致失敗を惜しみながらもFIFAワールドカップの招致活動を継続した(後に2022年大会招致へ一本化)。東京オリンピックスタジアムの代替となる「8万人スタジアム」としては、大阪市の大阪駅北地区の再開発計画で浮上した「大阪エコ・スタジアム」建設が代替案として提起された。2010年12月2日のFIFA理事会で2022年大会はカタール開催が決定し、大阪エコ・スタジアム構想も事実上白紙となった。
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