五輪後〜引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 23:44 UTC 版)
2001年の選抜体重別では会場でドゥイエが見つめる中、村元を技ありで破って大会5連覇を達成したが、全日本選手権では決勝で井上に判定で敗れて4連覇はならなかった。世界選手権では準々決勝でロシアのアレクサンドル・ミハイリンに開始早々の隅返で敗れるが、敗者復活戦を勝ち上がって3位になった。さらに国体成年男子の部には奈良県代表として出場するも、準決勝で東京都代表の田村和也に内股すかしで敗れた。 2001年には旭化成を退社すると、天理大学体育学部専任講師 兼 柔道部監督に就任した。 2003年には約1年半ぶりの試合となる全日本選手権に出場するが、準決勝で鈴木桂治に1-2の判定で惜敗して3位に終わり、その後現役引退を表明した。
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