北京五輪後 - ロンドン五輪前
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「中村友梨香」の記事における「北京五輪後 - ロンドン五輪前」の解説
2009年はマラソン出走を封印し、駅伝競走・トラックレースをメインに出場。2009年6月27日の日本陸上選手権女子5000mでは初優勝を果たし、同年8月開催の世界陸上ベルリン大会へ長距離走代表に選出された。その8日後の同年7月5日には、札幌国際ハーフマラソンに出場。世界陸上ベルリン大会女子マラソン代表組(渋井陽子、藤永佳子、加納由理)との同走となるも、前週の日本選手権の好調を維持して、1時間9分20秒の自己ベストタイムで初優勝した。 同年8月15日の世界陸上ベルリン大会女子10000m決勝では、先行するレーススタイルで最後まで粘り、7位入賞を果たした(福士加代子は9位、佐伯由香里は20位)。世界陸上で日本女子長距離走代表の入賞は、1999年世界陸上セビリア大会女子10000mの弘山晴美(4位)と高橋千恵美(5位)の二人同時入賞以来10年ぶりである。又8月19日の同大会の女子5000m予選を通過し、8月22日の女子5000m決勝では12位ながらも自己ベスト記録をマークした(小林祐梨子は決勝11位)。 同年10月11日の世界ハーフマラソン選手権は、1時間10分19秒の記録で日本女子トップの12位(団体では日本女子は4位)に入った。 2010年1月17日に行われた第28回全国都道府県対抗女子駅伝では、岡山県チームの9区・アンカーで出場。区間記録では福士加代子(青森県チーム)に及ばなかったものの、1位を死守して岡山県チームの初優勝に貢献した(また同回の岡山県チームは、前年実業団対抗女子駅伝2位の天満屋と、高校女子駅伝2位の興譲館高校ら強豪メンバーが揃っていた。なお岡山県チームの監督は山口衛里)。 同年4月19日、北京五輪以来1年8か月ぶりのマラソンとなるボストンマラソンに出走したが、レース中盤の20Km付近で先頭集団から遅れ、7位に留まった。同年7月4日の札幌国際ハーフマラソンでは2連覇を目指したものの、優勝した加納由理に遠く及ばず1時間17分03秒の28位に終わった。 同年12月19日開催の第30回全日本実業団対抗女子駅伝大会では、天満屋チームとしてエース区間の3区・10Kmに出場(区間順位6位・32分08秒)。3区終了時点は5位だったが、その後5区の重友梨佐が区間首位の好走で逆転に成功、アンカーの浦田佳小里も区間1位の快走を見せ、天満屋チームの悲願だった同実業団女子駅伝の初優勝を達成した。 2011年3月11日に起こった東日本大震災により、同年3月13日にエントリーしていた名古屋国際女子マラソンが中止に。約1か月後、同年4月17日のロンドンマラソンに出走したが、序盤の10Km付近で日本選手らの第二集団から早々遅れ初め、結局記録・順位共にワーストの31位に終わった。
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