高橋千恵美とは? わかりやすく解説

高橋千恵美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/05 09:38 UTC 版)

高橋 千恵美
選手情報
フルネーム たかはし ちえみ
ラテン文字 Chiemi Takahashi
国籍 日本
種目 長距離走マラソン
所属 日本ケミコン(現役時代)
生年月日 (1976-02-16) 1976年2月16日(49歳)
生誕地 宮城県栗原市
身長 159cm
体重 42kg
自己ベスト
5000m 15分22秒64 (1999年)
10000m 31分27秒57 (1998年)
ハーフマラソン 1時間11分18秒 (2001年)
マラソン 2時間48分36秒 (2005年)
獲得メダル
陸上競技
日本
アジア大会
1998 バンコク 10000m
アジア選手権
1998 福岡 10000m
編集 

高橋 千恵美(たかはし ちえみ、1976年2月16日 - 、現姓・市橋(いちはし))は、日本の管理栄養士。元陸上競技長距離走マラソン選手既婚

経歴

宮城県栗原郡若柳町(現・栗原市)出身。陸上競技の名門だった聖和学園高等学校在学時には、全国高校女子駅伝に1年時の1991年と3年時の1993年の2度出場している。1991年、1年時の同駅伝大会ではエース区間1区6kmを走り、区間賞19:42をマークした宮崎安澄(筑紫女学園2年)、19:50の永井明子(西脇工業3年)に次ぐ19:51をマークし同タイムの中人幸子(市立船橋1年)をコンマ差でかわし区間3位であった[1]。1993年、3年時の同駅伝大会でも1区を走り、同1区区間新の19:17をマークしたエスタ・ワンジロ(仙台育英2年 [2])を最終盤で抜き一時トップに立ったものの最後に抜き返され、5秒差の19:22で区間2位であった[3][4]

高校卒業後は日本ケミコン女子陸上部(2014年3月限りで無期限休部)を経て、現在はチームミズノアスレティック、およびMOCファッションモデルエージェンシーに所属。1999年世界陸上選手権セビリア大会では女子10000mで5位入賞を果たす。2000年シドニーオリンピックでも女子10000m代表(15位)として出場した。

日本ケミコン所属時

1995年世界陸上イェーテボリ大会女子5000m代表、予選落ち。

1997年世界陸上アテネ大会女子10000m代表、10位。

1998年東日本実業団対抗大会女子10000m出場。31分27秒57(自己最高記録)

1998年バンコクアジア競技大会女子10000m代表、3位入賞・銅メダル獲得。

1999年大阪グランプリ大会女子5000m出場、7位。15分22秒64(自己最高記録)

1999年世界陸上セビリア大会女子10000m代表、31分27秒62の記録で5位入賞。その後、翌2000年シドニー五輪の陸上女子長距離代表選手に早期内定となった(同じくセビリア世界陸上の女子10000mで4位入賞した弘山晴美が、女子マラソンでの五輪代表を目指す為に辞退し、高橋が繰り上がる形で内定となる)。

しかし2000年1月の都道府県対抗女子駅伝で、宮城県チームのアンカーで出場予定だったが、レース前日に足の肉離れを起こすケガで急遽欠場。その後鎮痛剤による副作用で極度の貧血にも悩まされ、全く走れない状態が続いたが、約半年後の同年6月にようやくレースに出走出来るほどに復調した。

2000年9月、シドニー五輪女子10000mの予選は無事通過するも、決勝では序盤から高速のペースについていけず、中盤辺りで先頭争いから脱落。レース終盤では先頭集団に周回遅れとされてしまい、結局31分52秒59の記録で15位に終わった(川上優子は10位、弘山晴美は20位)。

2001年5月、自身初のハーフマラソンとなる地元の仙台国際ハーフマラソンに出場、優勝のエレナ・マイヤーに次いで、1時間11分18秒で2位に入った。

日本ケミコン退社後

しかし2002年以降は足腰の故障が続いた事も有り、2003年6月に日本ケミコンを退社した。その後故障の治療に努めながら、高橋の母校である聖和学園高校陸上部のコーチに就任となる。2005年11月に山梨県で開催された河口湖日刊スポーツマラソンで初のフルマラソンに挑戦、2時間48分36秒の平凡なタイムながらも初優勝を果たしている。二回目は2006年9月のベルリンマラソンで、2時間59分13秒で23位。三回目は同年12月のホノルルマラソンで、3時間15分56秒で23位だった。

2009年4月、千葉県聖徳大学文学部人間栄養学科へ入学(2012年3月、同大学卒業)。2010年10月10日、自身のブログにて入籍・結婚した事を表明。

2013年5月に管理栄養士の国家試験に合格[5]。現在は管理栄養士としてスポーツと栄養に関する講演やマスコミ媒体での営為を始め、ゲストランナーとして各地のマラソン大会などにも参加や、陸上競技教室の講師をするなど幅広い活動を行っている。

高橋と同じ1975~76年生まれの同期生では、陸上の長距離走・マラソン選手として活躍した日本女子選手には、五輪代表の川上優子・大島めぐみ、世界陸上代表の大南博美敬美双子姉妹、小崎まり橋本康子等がいる。1976~77年生まれでは千葉真子土佐礼子市川良子等の五輪代表選手がいる。また、シドニーオリンピック女子マラソン金メダリストの高橋尚子アテネオリンピック女子マラソン金メダリストの野口みずきとも親しい間柄であった。

著書

脚注

  1. ^ 全国高校駅伝1991年第3回女子大会記録 毎日新聞社
  2. ^ のち2000年シドニー五輪マラソンケニア代表で出場し、優勝した高橋尚子と3分03秒差の2:26:17をマークし4着でゴールした。
  3. ^ 全国高校駅伝1993年第5回女子大会記録 毎日新聞社
  4. ^ その他、1991年の同駅伝大会出場者には、3区3km坂下奈穂美(順天1年)、4区3km小﨑まり(宇治1年)、同4区川上優子(信愛女学院1年)、同4区徳田由美子(埼玉栄3年。中央大学1年時の1992年の日本選手権で800m2:04.82の当時の日本記録をマークした。)などがいた。
    1993年の同駅伝大会出場者には、1区に6位田中めぐみ(埼玉栄3年)、同1区11位坂下奈穂美(順天3年)、同1区16位木村泰子(尾山台3年)、2区4.0975kmに千葉真子(宇治2年)、同2区川上優子(信愛女学院3年)、3区3km区間賞の市河麻由美(市立船橋2年)、3区八嶋あつみ(仙台育英3年。日本生命在籍時の1995年の日本選手権で5000m15:14.77の当時の日本記録をマークした。2位は前日本記録保持者で同じく日本記録を更新した上述木村泰子(尾山台→京産大)で、高橋はこの時は15:25.50をマークし3位であった。)などがいた。
  5. ^ シドニーオリンピック出場の市橋千恵美さんが管理栄養士の国家試験に合格 日本オリンピック委員会 2013年6月6日閲覧

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高橋千恵美」の関連用語

高橋千恵美のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高橋千恵美のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高橋千恵美 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS