イタリアに対する占領統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 00:24 UTC 版)
「占領統治」の記事における「イタリアに対する占領統治」の解説
「第二次世界大戦中のイタリアの軍事史(英語版)」、「イタリアの降伏」、および「イタリア戦線 (第二次世界大戦)」も参照 イタリア王国は1943年9月に連合国に降伏したが、ドイツ軍のアッシェ作戦(ドイツ語版)によって国土の北半分およびバルカン半島や南仏の占領地域をドイツによって占領された。このため南部ではイタリア王国を支配する連合国軍(米英)、北部ではイタリア社会共和国を支配するドイツ軍による事実上の占領統治が行われた。 当初、イタリアも後のドイツ同様に米英ソによる共同統治が計画されていたが、イタリアが予定より早く降伏したことからイギリスの気が変わり、ソ連の占領統治への参加を渋るようになった。結果、「制圧した国が占領した国の実権を握り、他の連合軍は形式的に参加する」との取り決めがなされ、この方法は「イタリア方式」と呼ばれる。 ドイツ降伏後は地中海に面した西側とサルデーニャ島、シチリア島の大部分がアメリカの、アドリア海に面した東側とナポリとトリエステ、シチリア島の東側沿岸部がイギリスの占領統治下に置かれたが、途中連合軍に転じた事から、1946年には重要拠点トリエステとその周辺を除きイタリアの統治下に復した。故に当事国の意識は、する側・される側共に薄く占領と捉えない見方もある。1947年にはパリ条約 (1947年)が締結され、イタリアにおける占領統治は終結したが、トリエステは引き続き占領下に置かれ、1954年に南部をユーゴスラビアに割譲し、残りをイタリア政府に返還された。
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