イタリアにおける試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 03:27 UTC 版)
1936年、ドイツの影響を受けてイタリア政府が1kmの人力飛行に成功したイタリア人に10万リラの賞金を贈る懸賞を設けた。以前からアメリカで人力飛行機の研究を行っていたエネア・ボッシ(Enea Bossi)が設計し、ヴィットリオ・ボノミ(Vittorio Bonomi)により製作されたペダリアンテ(PEDALIANTE)がこの懸賞に挑戦した。イタリア軍の少佐で自転車競技者だったエミリオ・カスコ(Emilio Casco)がパイロットを勤めた。ペダリアンテは主翼にそれぞれ逆に回転する2つのプロペラが取り付けられたことを除けば高翼式グライダーに似た機体で、1936年には人力のみによる離陸で約90mの飛行したとされる。この人力のみによる飛行の正当性については反論も含め議論がなされたが、非常に強力なパイロットであれば不可能でなかったと考えられている。その後、ペダリアンテは1937年3月18日に9mの高さから離陸し1kmの飛行に成功した。平地からの発進ではなかったため、課題達成とはならなかったが、当時の人力飛行の世界記録である。
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