キリスト教世界
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セビリャのイシドルス セビリャ大司教のイシドルス(560年-636年)はよく読まれた百科事典『語源』で大地は丸いと教えている。これについて、彼が地球球体説に言及したのだと考える著述家もいるが;、これや他の著作により、彼は大地が円盤や車輪の形をしていると考えていたことは明らかである。対蹠点で人が生きるのは可能だと彼は認めず、これを伝説にすぎないと考え、対蹠人の存在を示す証拠が何もないと述べている。 ベーダ・ヴェネラビリス 修道士ベーダ・ヴェネラビリス(672年頃-735年)は、コンプトゥスを扱った影響力の高い論文『時間の計算』で、大地は丸いと述べ、日照時間の違いを「大地が丸いことによるのであって、聖典や一般文学に記された『世界の宝珠』などというものによるのではない。実際は大地は世界の中心に置かれた球状のものなのである」(『時間の計算』(羅: De temporum ratione、32)と説明した。カロリング朝が全ての司祭にコンプトゥスを学ぶよう要求したために『時間の計算』の写本が非常に多く作成され、また非常に多くが現存しているが、このことが、ほとんど全員ではないにしても多くの司祭が地球球体説に触れたことを示している。エインシャムのエルフリクスがベーダの著作を古英語訳し、「大地の丸さと太陽の軌道が、日照時間がどこでも等しいことを妨げている」と述べている。 ベーダは明らかに大地が丸いと考えており、「私たちが大地を地球と呼ぶのは、丸い形が平地と山地の多様さに表されているかのようにというわけではなく、万物がその外形に含まれるならば大地の外周が完全な球形を示すからである。[...]それが本当に宇宙の中心に坐する球体であるならば; それは広い宇宙の中で、盾のように円形なのではなくボールのように球形をしており、中心から等距離に広がった完全な球形をしているのである」と書いている。 アナニア・シラカツィ 7世紀のアルメニアの学者アナニア・シラカツィは世界を「球形の卵黄(地球)が白い層(大気)に取り囲まれ堅い殻(天界)で包まれた卵」というように説明している。 盛期中世 中世盛期には、キリスト教ヨーロッパにおける天文学的知識は、中世イスラーム天文学による研究の伝播で齎された古代の著述家の直接的流入の上に発展した。この研究の初期の受取人としてオーリヤックのジェルベール、後の教皇シルウェステル2世がいる。 ビンゲンのヒルデガルト(1098年-1179年)は『神の業の書』で大地が丸いことに何度か言及している。 アラン・ド・リール(英語版)(c. 1116/1117年 – 1202/1203年)は詩『アンティクラウディアヌス』(羅:Anticlaudianus)で自由七科を擬人化して登場させているが、その中でも幾何学に地球の周長を計らせている。 サクロボスコのヨハネス (1195年頃-1256年頃)はプトレマイオスに基づいて『天球論』と呼ばれる著名な天文学書を著し、その中で地球は丸いと考えている。 中世後期 14世紀初期のイタリアで書かれたダンテの神曲では大地が球状に描かれ、南半球で見られる星が異なることや、太陽の位置の変化、そして地上の時間帯の違いといったことの意味について論じられている。また、オータンのホノリウス(1120年頃)の『エルシダリウム』は下級聖職者教育の重要な手引書であって、中英語・古フランス語・中高ドイツ語・古ロシア語・中期オランダ語・古ノルド語・アイスランド語・スペイン語・いくつかのイタリア語方言に訳されたが、地球球体説に明らかに言及している。同様に、レーゲンスブルクのベルトルドゥス(13世紀中頃)が地球球体説を説教的な絵画で用いたという事実は、彼が自分の説教を聞く会衆に対して球体説を前提知識とみなせたことを示している。説教は口語たるドイツ語で行われており、教養人に向けたものではなかった。 ポルトガル人によるアフリカ・アジアの探検や、コロンブスのアメリカ州到達(1492年)、そして最終的にフェルディナンド・マゼランの世界周航(1519年–21年)により地球球体説の実際的な証明が得られた。
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