西ヨーロッパでのキリスト教世界の形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 02:26 UTC 版)
「ヨーロッパ世界」の記事における「西ヨーロッパでのキリスト教世界の形成」の解説
ゲルマン人の大移動によって西方正帝が力を失うと、西ヨーロッパをゲルマン系諸民族が席捲した。その際、ローマ人などのラテン系民族やガリア人(ブリトン人も含む)らケルト系諸民族からなる原住民との文化的融合が行われ、ゲルマン人はキリスト教を受容した。やがて各地にゲルマン人を主体とする王国(征服王朝)が形成され、それらはフランク王国に収斂されて行った。欧州の様々な民族から形成されたフランク民族の王カール大帝はキリスト教とローマ世界の庇護者としてローマ教皇によりローマ皇帝に戴冠され、キリスト教(カトリック)を重要な共通概念とする世界が構築された。特にキリスト信仰は文明のバックボーンとなりマジャル人など東方系の民族もカトリックを受容した。これに続き、ヴァイキング後に成立した北欧諸国のカトリック化によってほぼ現在の西ヨーロッパにおけるヨーロッパ世界が完成したと言える。
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