キリスト教三部作の終了
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 08:32 UTC 版)
「ボブ・ディラン」の記事における「キリスト教三部作の終了」の解説
前述の『スロー・トレイン・カミング』と1980年発表の『セイヴド』、1981年発表の『ショット・オブ・ラブ』は「ゴスペル三部作」と呼ばれる。この時期のコンサートでは当初、これらの作品群からの曲しか演奏せず、批判を浴び動員も伸び悩んだ。その結果を考慮して後期のツアーでは、初期のヒット曲も織り交ぜた折衷版として妥協の姿勢も見せた。ボブはこの当時のサウンドにはかなり誇りを持っていたようで、ライブアルバムの発表を望んだが、コロムビアに拒絶された。『ショット・オブ・ラブ』のアルバム未収録曲としては "Let It Be Me" 、「デッド・マン、デッド・マン ("Dead Man, Dead Man", Live Version) 」がある。後者は1989年「ポリティカル・ワールド ("Political World") 」のカップリングで発表された後、『Live 1961-2000』に再録。1981年にはそれまでの代表曲、未発表曲を網羅したコンピレーションアルバム『バイオグラフ』の企画が持ち上がる。発売には4年を要したため、1982年以降の曲は収録されていない。 ソニー・ミュージックとクリスチャン・トゥディ(2016/10月)が伝えたところによれば、ディランは83年の「インフィデル」からユダヤ教に回帰している。確かにダイアー・ストレイツのマーク・ノップラーをプロデューサーに迎えて製作した『インフィデル』(1983)はキリスト教色は薄れている。ボブが21世紀に入ってからも福音派(新興宗教的キリスト教)を信仰しているという誤りは、アル・カシャというキリスト教関係者による希望的憶測に過ぎなかった。ノップラーは制作途中で自身のワールドツアーに出てしまい、残されたテープをボブ自身がミックスしたこのアルバムにはノップラーも含め、選曲、アレンジなどに不満の声もある。このアルバムからのシングル「スウィートハート ("Sweetheart Like You") 」はビルボード55位だった。 この頃から時代は多重録音の手法がメインとなり、即興性を重んじるボブもまた時代性との狭間で試行錯誤を繰り返すことになる。そして、1985年、アーサー・ベイカーの手を借り、R&B、ヒップホップを彼流に取り入れた『エンパイア・バーレスク』を発表する。しかし、このアルバムは「エモーショナリー・ユアーズ ("Emotionally Yours") 」といった曲を含みながらセールス、評価ともに、同年発売のコンピレーション・アルバム『バイオグラフ』の陰に隠れて見過ごされる事態となった。この結果により、ボブはスタジオ・レコーディングに精力を傾けて商業的成功作を作ろうという気持ちを半ば諦めたともいわれる。その後の『ノックト・アウト・ローデッド』(1986年)、『ダウン・イン・ザ・グルーヴ』(1988年)は消極的なアウトテイク集にすぎないとの批判も一部から寄せられた。『ダウン・イン・ザ・グルーヴ』には、南米のいくつかの国で "Important Words" が収録されている。
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