移民法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 13:49 UTC 版)
アメリカ合衆国、および程度は低いもののカナダはより外国人嫌悪の傾向を強め、少なくとも移民を排斥した。アメリカの1924年移民法では、1890年国勢調査でのアメリカ合衆国全人口の2%がある国からの移民である場合に、その国からの新たな移民を制限した(アフリカ系アメリカ人は除く)。このために、20世紀初めの20年間にアメリカにやってきたヨーロッパ人の大量流入は大幅に減少した。アジア人やインド国籍を持つ者は移民を禁じられた。1913年にカリフォルニア州で成立したウェブ・ヘイニー法の様な外国人土地法は、アメリカ合衆国の市民権を得る権利のない外国人にはカリフォルニア州の土地を所有する権利が無いとした(アメリカ合衆国が支配していたフィリピン人は除外された)。これはまた、上記の外国人に土地を賃貸する場合も最長3年間に制限した。多くの日本人移民すなわち日系1世は、アメリカ生まれの子供達すなわち誕生と同時にアメリカ市民となった2世に土地の所有権を移すことでこの法を回避した。他にも11州が同様な法を成立させた。 カナダでは、1923年中国人移民法で、アジアからのほとんど全ての移民を制限した。その他にも南欧や東欧からの移民を制限する法を作った。日米紳士協約では日本人移民が国内に入ることを妨げる権利をアメリカに与えた。
※この「移民法」の解説は、「狂騒の20年代」の解説の一部です。
「移民法」を含む「狂騒の20年代」の記事については、「狂騒の20年代」の概要を参照ください。
移民法(1924)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 20:47 UTC 版)
1924年、アメリカで移民法(いわゆる排日移民法)が議会を通過した。このことは優生学者たちにとっては、東ヨーロッパと南ヨーロッパからやって来る「劣った血統」の脅威に関する議会の討論において専門職顧問として中心的な役割を果たす最初の機会であった。この新法は遺伝子プールを維持するための試みであり、既存の人種間の交配を禁ずる様々な法を強化したものであった。優生学的な考え方は米国の多くの州で導入されている近親姦を禁ずる様々な法律の背後に基礎を置くものであり、そしてそれは多くの白人と有色人種間の混血を禁ずる法律を正当化するために用いられた。 スティーヴン・ジェイ・グールドらは、米国において1920年代に成立し1960年に大幅な改正を受けた移民制限が、自然の遺伝子プールから「劣った」人種を排除することを意図した優生学的目標によって動機付けられたものであったと主張している。20世紀初頭、米国とカナダは、南欧と東欧から膨大な量の移民を受け入れるようになった。ロスロップ・スタッダード(英語版)やヘンリー・ラフリン(英語版)の様な影響力を持った優生学者たちは、もしこの先移民が制限されないとするならば、国の遺伝子プールを汚染することになる劣等人種が国中に満ち溢れることになる、とする議論を立ち上げた。これらの議論によってカナダと米国は民族間の序列化を行う様々な法の立法化へと向かうことになった。 これらの法律では最上位にアングロ・サクソンとスカンジナビア人が位置付けられ、下に向かって事実上移民から完全に閉め出された日本人と中国人に至る格付けが行われた。 他方、移民制限政策は多量の外国人の流入に対する国の文化的健全さを維持する欲求に動機付けられたものであるとする見解もある。
※この「移民法(1924)」の解説は、「優生学」の解説の一部です。
「移民法(1924)」を含む「優生学」の記事については、「優生学」の概要を参照ください。
- 移民法のページへのリンク